**ありふれた日々、きらきらした日常**






その1 コンビニにて 【かよちゃんの朝】




「いらっしゃいませーえ」
 そう言ってにこりと笑った彼女の笑顔。その笑顔を見るためだけに私はこのコンビニに毎朝通う。
 そのコンビニは職場の近くで、通り道にあって、私が毎日通うものだから、そのレジのおねーさんとは、何となく顔見知り。
 そのおねーさん、いつもかわいい髪型をしていて、それがいつも必ず私がしてみたい髪型で、すごくおしゃれだなーとぼんやりと思っていた。
 そしてこの間、勇気を出して話しかけて。それから少しだけ話せるようになって。
 ついには私が店に入ると、笑顔を向けてくれるようになった。

 私がそこで買うものは、毎朝いつも同じで。黒酢にミネラルウォーター、お昼に食べる春雨スープ。そしてたまにファッション雑誌。
 いつものものを次々と手にとって、毎朝まっすぐに彼女のレジへ並ぶ。たまにあいてるレジの方から、これまたいつもこの時間帯に入っている、ちょっと太めのおにーさんに「お待ちのお客さまー」なんて呼ばれたりしながら、前の人の会計が終わるのを待つ。
「お待ちのお客さまー」
 二度呼ばれる。ああ、残念。今日は挨拶できなかった。そう思いながらしぶしぶと隣のレジに移動する。
 ちら、とレジの彼女に視線を送る。するとにっこり笑って会釈する彼女。

 うん、今日はこれだけでいいや。

 目があって、にっこり笑ってくれた。たったそれだけで、すごく幸せ。


「どうもありがとうございましたー」
 出る間際にそう言って手を振ってくれた。今日はなにか良いことありそう。






その2 美容室にて  【伊藤さんのアフターファイブ】



「お疲れさまでしたー」
 そう言って私は事務所を後にした。コンビニのバイトは随分と長い。朝8時から夕方の5時まで。フリーターってやつだけど特に将来に憂えるわけでもなく、気楽にのんびりと毎日を過ごしている。独りで自活するくらいには稼げるし、それよりもなによりも私はこの仕事が好きなのだ。
「あ、やっば。時間なっちゃう」
 今日は美容室の予約の日。早く行かなくちゃ。



「今日はどんな髪型にする?」
 なんて言って覗き込んできたおねーさん。名前はまいさん。
「まいさんみたいにしてください」
 なんて言ってみたら、「伊藤さん前回もそう言ってたよ?」って笑う。
 
 
 美容室なんて本当はそんなに好きじゃなかった。美容師さんて何だかみんなおしゃれできらきらしているし、たくさん話しかけてくるからだ。ほぼ初対面の人と話をするのは、私はあまり得意じゃない。だけど、まいさんに会ってから、まいさんに髪を切ってもらうようになってから、美容室に通うのがとても楽しい。
 出会った頃は、まいさんはすっきりとしたベリーショート。オレンジ色の髪の色が、その髪型にすごくよく合っていて、ちいさな頭と長くて細いうなじと、白と黒のボーダーのゆったりめのカットソーに、黒いマイクロミニのスカート。そして靴はオレンジのきらきらしたスニーカー。それがすごく、すごくかわいかった。
 そのとき私はすごく長いロングヘアで。瞬間的に「この人みたいになりたい!」なんて思っちゃって、気がついたら、「おねーさんみたいにしてください!」なんて口走っていた。
 まいさんはびっくりしたように私を見つめたけれど、すぐに笑ってわかりましたって言ってくれた。
 それからはもう、月に一回。二回。三回。
 せっせせっせと通って、「もう切るとこないよ」なんて笑われながら、それでも通って。

 そして今は私の髪も、まいさんの髪も、肩くらいの長さ。同じ髪型。
 この淡い、淡い気持ちは、ちょっと自分でも異常かな、とは思うんだけど。

「あ、そういえば、この間、バイト中にお客さんが」
 ふんふんと相槌をうってくれるまいさん。睫毛が長い、そんなことを思いながら、鏡越しにまいさんを見つめる。どきどきする。何で本当に、こんなにどきどきするんだろう。
「いつもかわいい髪型してますよね、って褒めてくれたんです」
 きっとまいさんのセンスがいいからですよね、そう言ってちらりと見上げたら、まいさんはすごく嬉しそうに笑ってくれた。


 なんだかすごく、たまらなかった。
 本当に、何なんだろう、この気持ち。






その3 ファミレスにて  【まいちゃんの仕事帰り】


「リエさん、おそーい」
 なんて言いつつ、私はひらひらと手を振った。
「ごめんごめん、っていうか久しぶりー。まいちゃん元気してた?」
 そう言って笑いながら私の向かいの席に座る。うーん、リエさん、ちょっと痩せたかも。
「仕事は?今終わったの」
「そうですよー。リエさんは?」
「あたしは今日も暇でした。早く終わったけど遅刻しちゃった。あ、すみませーん、注文いいですかあー?」
 そう言ってリエさんが手をあげた。かわいいウェイトレスのおねーさんが私たちのほうへ笑いかける。
「ウーン。かわいい娘だな。ファミレスの店員さんてかわいい子多くなーい?」
 へっへっへ、と笑うリエさん。何だか凄くオヤジっぽい。
「まーた始まった」
 私は呆れながら、向かいに座っているリエさんのおでこをぺちりと叩く。そんな私たちのやり取りを見て、ウェイトレスのおねえさんはくすくすと笑う。

 リエさんは先輩の美容師さんで、ついこの間店を辞めた。この間めでたくも25歳を迎えた彼女は突然、誕生日であるその日に、みんなの前でこう言ったのだ。
『えー、めでたくも私は25を迎えました。そんなわけで今日を持ちましてこの店を辞めさせていただきます。これからは愛し愛され愛に生きます!みなさんどうもありがとうございました!はい、拍手!』
 呆然としている私たちにニカッと笑うと、「幸あれ!」なんていいながらかっこよく颯爽と店を後にした。

 びっくりして泣きながら追いかけた私を軽く抱きしめて、じゃあね、なんて言って去っていった彼女。

 私からときどき連絡をとっては、こうして私たちはおしゃべりをする。


「店のみんなは?元気?」
「さえが腰痛めて辞めるかも」
「うっそ、本当に」
「あと、シンヤには新しい彼女が」
「いくつ?」
「なんと17」
「なんてうらやましい……!変態!きもちわるい!」
「ロリコン!」
 私はリエさんが好きで好きで好きで。でもリエさんには他に好きで好きで好きでたまらないひとがいて。
「お、どうした?まいちゃんさては恋でもしたか」
 私の心なんかおかまいなしに、いつもいつもこんな話題を振ってくる。
「ええ、まあ。リエさんは?うまくいってる?」
「もっちろーん!」
 イエーと親指を立てて、ニカッと笑う。私は彼女のその笑顔がとても好きだ。

 リエさんは今、恋人と住んでいる。その恋人は、大人で、かっこよくて、スマートな、女の人だ。
 夢見るような瞳で、恋人のことを話すリエさん。ずっとずっと思い続けて、やっとの思いで告白して、そしてついに結ばれたそうだ。同じことを何回も何回も言うリエさん。その恋人さんが大好きなリエさん。
 一通り、ノロケ倒してから、必ずリエさんは最後にこう言うのだ。
「まいちゃん、男の人を好きになったら告白するべきだよ。せっかく女の子に産まれたんだから、好きな男の人には愛されなくちゃ」
 そして、必ず、こう結ぶ。
「私は告白、したくても、できなかったんだから」
 
 リエさんは女の人しか愛せない。好きにならない。
 だから今までずっと失恋ばっかりしてきたという。
『私、ノンケばっかり好きになっちゃうからさ』
 そう言ってすこしだけ潤んだ瞳が、すごくきゅんとさせる。

 リエさんは当たり前のように私の好きな人が男の人だと思っている。
(まあ、それは、そうなんだろうけれど)
 あなたが好きです、なんていったら、どんな顔するのだろうか。
 そんなことを思いながら、私は適当に相槌を打つ。
 なんだかんだ言っても、どんなに心が締め付けられても、やっぱり好きなもんは好きだから。

「でも今は、幸せなんでしょ」
「まーそれはそれは、もう!早くまいちゃんも告白して幸せになっちゃいな!女の子は皆幸せになる権利があるんだから!愛し愛され人生はバライロ!」
「あー何だか頭痛くなってきた」
「えっへへー」


 ああ、このひと、本当にかわいい。

(とりあえず、いつか絶対奪ってやる)
 そう思いながら、私は姿の見えぬリエさんの恋人に、念を送ってみたりする。


 私は泣き寝入りなんかしない。自分を磨いて、すごく磨いて、あなたを振り向かせてやる。
 そう思いながら、手元のコップの水を一気に飲み干した。
 リエさんはおおー!なんて言いながら手を叩く。そうこうしているうちに、料理が運ばれてくる。
 おなかがすいた。とりあえず、腹ごしらえ。


 今日は何て言って口説こうか。この人本当に鈍いから。






その4、寝室にて    【正子さんのかわいい子ねこ】


「今日、楽しかった?」
 そう言って、ベッドに寝転がっている彼女のそばに寄る。んー?と言う何とも気の抜けた返事が帰ってきた。
 もう日付も変わっている。随分と遅くまで遊んできたみたい。丸まって寝ている彼女は、なんだか猫のよう。
「誰と会ってたんだっけ?美容室の、後輩?」
 そう言いながら彼女の睫毛をぴっと引っ張る。するとゆるゆると両腕を動かして、私へ向かって手を伸ばしてきた。
「なあに」
「だっこ」
 随分と酔っているようだ。後で厳しく言っておかなければ。
 そう思いながらも私はゆっくりと彼女に覆いかぶさる。そして寝転んだままぎゅっと彼女を抱きしめた。
「あー。正子さんいい匂い…」
 うっとりとつぶやく彼女のこめかみに、軽くキスをしてやる。
「いいでしょ。新しいシャワージェル」
「何の匂い?」
「ローズとジャスミン」
「混ざってるの?」
「さあ、たぶん」
 くんくんとわざとらしく鼻を鳴らしながら、彼女が私の胸元に顔を寄せる。
「今日の正子さん、舐めたらおいしそう。味しそう」
「舐めてみる?」
「もちろん」
 元気なことだ。やっぱり若いからかしら。
 そんなことを思いながら、彼女の頭を撫でてやる。するとすぐにとろんとした表情になって、私の頬に頬を擦り付けてきた。
(やっぱりこの子、猫みたい)
「リエちゃん」
「んー」
「眠いんじゃないの?」
「んーでもー」
「今日は寝たらどうなの」
「んー」
 ああ、これは。完璧に眠りに落ちそうだ。
 ちょっと残念だけど。まあ、いつでもできるわけだし。
「ゆっくりお休みなさい」
 そう言って、頬にキス。
 返事はない。もうすっかり夢の中だ。

 とりあえず私はひとつため息をついて、もうひと仕事することにした。


 


その5  インザバスルーム  【リエさんの寝坊した朝】



「寝坊した……」
 気がついたら朝の8時。もーどーがんばっても仕事に遅れる時間だ。
「正子さんは…、っと、もう出かけてるか」
 昨日まいちゃんと飲みに行って、それから帰って、何か正子さんがいい匂いしてて。
 そんで新しいシャワージェル買ったとかなんとか言って。あれ、それから覚えてない。

 ぼんやりとする頭を気合で回転させながら、えいやっと携帯に手を伸ばす。とりあえず同僚のかよちゃんにメールでもしておこう。
 かよちゃんは向かいの席のちょっと変わった女の子で、いつも毎朝黒酢を飲んでいる。それが終わるとコントレックス。そしてお昼は春雨スープだ。いつもいつもいつもその順番ではるさめは海鮮はるさめ。何かポリシーでもあるのかと思ったら、どうやらそういうわけでもないらしい。
 ま、どうでもいいんだけど。
 ちゃちゃちゃ、とメールの文を作成して、ぽちりと送信ボタンを押した。
「きっとすごい勢いで電話来るなあ。かよちゃんってば真面目だから」
 そしてゆっくりとベッドから降りて、バスルームへ。お風呂にお湯をためながら、周りをきょろきょろと見渡す。
「あ、あった」
 新しいシャワージェル。
 手にとって、キャップを開いて、香りを嗅いで見る。
「……正子さんの匂い」
 昨日嗅いだ、正子さんの匂い。きっと今日一日の、正子さんの香り。
 この香りのお風呂に入ったら、正子さんと同じ香りを纏ったら、きっと絶対今日一日、幸せな気分で頑張れる。

 さっきまで仕事休んじゃおうかとか思ったけれども。
 ちょっと遅刻して、頑張って行こう。

 よし、そうしよう。なんて思いながら伸びをした。


 窓の外はきらきら。寝坊した朝のお風呂なんてとても贅沢。

 今日も一日、シアワセだ。
 そんなことを考えていたら、やっぱり予想通りに携帯が、すごい勢いで鳴り出した。




 ありふれた日々。きらきらした朝。

 今日も一日、頑張ろう。




 おわり









(2007/9/3)




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