**恋は突然。**
汝、隣人を愛せよ。
中途採用で入ったその会社には、本当に絵に描いたような「お局ババア」っていうのが居て。
私があまりにも若く美しくかわいいもんだから、ただほんのちょーっとだけ仕事が出来ないからってそんなあそこまで言わなくたっていいと思う。
とにかくこのお局、人をよく叩く。いやみをいう。にらみつけてくる。
長い黒い髪の毛をひっつめて、眼鏡はザマスめがね。口紅はベージュで服装は地味。地味ったら地味。いつもベージュか白か黒。 でも仕事は出来る。出来るったら出来る。もう本当にあなたサイボーグですか?なんていうくらい早くて正確。しかも綺麗で完璧。早くて安くてうまいだなんてどっかで聞いたようなフレーズだったけど。
だからまあ仕事できないだの使えないだのなんだのかんだの言われても、まあしょーがないっちゃしょーがない。そりゃ私はまだ入社二日目のフレッシュな新人であるからして、勤続15年のお局さまの足元には及ばないのは当たり前。
でもぶつことはないと思う。
「ぶったな!おとーさんにもぶたれたことなかったのにいいい」ってお前結構余裕なんじゃん?なんてひとりぼけつっこみをするくらいには、それほどダメージを受けてないけれど、子供のときならいざ知らず、やっぱりハタチも超えたこの歳で、人にぶたれるってことは結構精神的にショックなもんだ。
「痛いです」
ひりひり痛むほっぺをさすりさすり、そう言って私は上目遣いにまち子さんを見つめた。ちょっと涙を浮かべてみたりして。うっかり泣いた。ちょっと鼻水でた。
「それは良かった」
そんなことをいってふんとそっぽを向く。まち子め。
「ぶつことないと思うんですけど」
とりあえず、少しばかり抗議してみる。するとそれきたとばかりに、まち子さんが反論する。
「何でぶたれたかよく考えて見なさい?何なのさっきの発注書。あんなんじゃ周りに迷惑をかけちゃうでしょ?私たち事務は縁の下の力持ち。皆がスムーズに仕事をするためには、仕事はプライドもって完璧にこなさなきゃならないの。まったく四大出ても教えたこと満足にひとつもできないんだから」
「だってそんなまだ私入社して二日目じゃないですか、あんなの新人に任せるほうがおかしいと思うんですけど。それに大学出たか出ないかは関係ないと思うんですけど」
おっと口答えしてしまった。まち子さんはおでこに青筋を立てて私を睨んでくる。
「新人だから、なんて甘く見ないわよ。あなたいくつ?そんな言い訳が通用するのは新卒までなんだからね、ちょっと若くてかわいいからって周りからちやほやされて、そのゆるみきった頭を覚まさせてあげようと思って、叩いたの。いわば愛のムチ」
はあ、なるほど。分かりやすい人だ。
「あーようするに、私が若くてかわいくてまわりからちやほやされてそれだけでもうらやましくてむかつくのに、仕事が出来ないからよけいむかついて愛をこめて殴ったと」
「そういうこと」ふ、ふん、と鼻息ひとつ。
まち子め。
昔読んだ漫画の本の作者のあとがきで。
いじめられっこだった作者はある日いじめた相手を愛してやろうと思ったとか。
殴りかかってきたそのいじめっ子を、殴られた後に抱きしめてやったらアラ不思議、
いじめっこは気持ち悪がって、それから近寄らなくなったとか。
……ふむ。なるほど。
漫画はいつだって私の人生の指針だ。
ミスター味っ子を読んでは料理を極め。
六三四の剣を読んでは剣の道に飛び込み。
イニシャルDを読んで、故郷を捨て、この地に来た。
慣れない新天地。憧れの群馬県。そしてそこで出会ったのは。
「……まち子さん」
「下の名前で呼ばないでくれる?佐藤さんと呼びなさい、佐藤さんと」
明らかに私を見下しているような顔で、まち子さんは腕を組んでふんぞり返る。
ここは会社の倉庫で、周りは資料の棚・棚・棚。
密室にはまち子さんと私の二人きり。他には誰も居ない。
目には目を。歯には歯を。 やりかえすなら、今のうち。
「……ちょっと、なに」
私はまち子さんを資料棚に押し付ける。
そしてぐいぐいと体重をかけ、少しだけ背伸びをして、まち子さんを覗き込む。
「!あ、あなたね、何をするつもりなの?!反省の色が全く見えないわね!ちょっと!離して!離しなさいよ!」
昔懐かし湘南純愛組やらホットロードやらを読んで、ちょっとやんちゃしてた高校時代。
残念なことに、私は結構強いのだ。
あれくらいのリンチなんて、全く痛くも痒くもないわけで。
間近で見るまち子さんの顔。よく見ると結構かわいい。
「……まち子さん、私のこと、かわいいって言いましたよね」
「……それが何」 ちょっとだけいたずら心に火がついた。からかってやろうっと、なんてそんなことを思う。
「私は、まち子さんの方が、かわいいって思うんですけど」
そう言って、見つめてみる。じいっと、熱っぽく、気持ちを込めて。
「は、はああああ?何、言って」
ぼわっと頭から湯気でも出そうなくらい、まち子さんの顔がみるみると赤くなる。
あや、けっこうかわいいじゃない。ちょっと予想外。
「本当に、かわいい。食べちゃいたいくらいです」
そう言って、私はもっと顔を近づける。まち子さんは何とも言えないような顔をして、私から目をそらす。目のふちは真っ赤。睫毛は震えて。
(すごく照れてる)
『あいつってさー、彼氏居たことないってウワサだよ?入社してからずーっともくもくと仕事ばっかりやってさ。あんな性格だから、すっごい嫌われてて、でも仕事できるから、しょーがないからクビにしないって話だよ』 ウワサ好きの中村さんの話を思い出す。 (この人、きっと随分と嫌われてきたんだろうなあ)
こんなふうに、誰かに褒められたことってないのかも。ちょっと凶暴でいやみったらしいけど、仕事に対してはすごく真面目だし、よく見ると結構かわいいのに。 (なんか、すごく幸せにしてあげたいかも) そんなことを考えていたら、ちょっとしんみりしてきた。まち子さん、今まで大変だったね。これからは私が幸せにしてあげられたらいいのに。 そう思いながら、まち子さんを見つめる。
「ね、悪ふざけならよして。離して、くれない?仕事に、もどらな」
「何すんのよ!!!!」
ばちーん!と頬を叩かれた。ああ、やっちゃった。つい、ほんの出来心。
「い、い、今の!いまの!」
口をぱくぱくとさせてまち子さんがへたりこむ。あーもしかしてもしかしなくても、私、とんでもないことをしちゃったのだろうか。
でも、やっちゃったもんはしょーがないので。
「キスです」
私は開き直ってみる。
「そ、それは、知ってる!何?なんなの?何がしたいの?」
まち子さん、すごい怯えてる。そりゃ無理もないか。説教している最中に、いきなりこんな小娘にキスされたら、誰だって動揺すると思う。しかも、同性だし。
「まち子さんがあまりにもかわいいもんだから、ついうっかり」 てへ、と舌を出してウインクをしてみる。まち子さんはひきつった表情で私を睨みつける。
「ついうっかりいぃ?!」
……あ。すっごく怒ってる。しまった。よけい怒らせたか。
「ついうっかりでキスしたっていうの?!!!」
声を上ずらせて、信じられない、なんてつぶやきながら頭を抱える。まち子さん、あなた今年で34でしたよね。まさか私、うばっちゃった?
へたりこんで頭を抑えて、あろうことか泣き出してしまったまち子さん。 (あーあんなに泣いちゃって。泣かせるつもりはなかったんだけど)
でも、なんだか私のこころがさっきからきゅんきゅんしっぱなしであるからして。
恋心っていうのはいつどこでどう生まれるのか、予想がつかないものだ。
まさかこの私が、若くて美しい私が、この地味でいじわるで凶暴なお局さまにこんなにときめくだなんて。
「まち子さん」
私はしゃがみこんでまち子さんのてのひらにそっと触れた。
まち子さんはこわごわと私を見上げる。濡れた瞳。上気した頬。ちょっと乱れたおでこの前髪。
ああ、やばい。かわいい。キスしたい。
恋心とは不思議なもので、一度好きだと思うともう相手がどんな状態でもかわいくみえるものであって。私の目の前でかたかたと震えるまち子さんが、私にとってはもう可憐で儚い、愛すべき女性にしか見えない。さっきまでの感情はどこへやら。私の中にはもはや、まち子さんに対する溢れんばかりの愛情しか見当たらない。ベージュの口紅だって、変な形の眼鏡だって、地味な色合いのスカートだって、何でもおしゃれに見えてきた。
恋は盲目。
昔の人は、うまいこと言うもんだ。
「……そんなおびえないでくださいよ。襲ったりしないから大丈夫ですってば」
まち子さんはぼろぼろと涙をこぼす。やばい。かわいい。キスしたい。涙舐めたい。
「ばかにするのも、いいかげん、に、しない、と」
泣いているせいだろうか、鼻声のセクシーな声でそんな強がりを言って、弱弱しく私の手を振り払う。そんな仕草にも、かわいいその鼻声にも、私はもうめろめろ。
汝、隣人を愛せよ。
いじめっ子すら愛せよ。
ちょっといきすぎちゃったような気もしないでもないけど。
私はまち子さんを抱きしめた。ぎゅっと抱きしめた。そして背中を撫でてみる。
「まち子さん、私、まち子さんを愛してます。たぶん、私がこの会社に入ったのも、こうやってまち子さんに呼び出しくらって殴られたのも、たぶん、運命だったんじゃないかなっ、て……」
はにかみながらそう言って、まち子さんの頭を撫でてみる。まち子さんは無言で、しくしくと泣いている。かわいい、かわいい、かわいい。めちゃくちゃにしちゃいたい。 腕の中にはまち子さん。皆のきらわれもののまち子さん。ちょっと反抗してみようと思っただけなのに、まさかこんな展開になるなんて。
汝、隣人を愛せよ。
いじめっ子すら愛せよ。 ひさびさの恋。私はちょっと、わくわくする。
ああ、神様かみさま。
とりあえず、この純情可憐な超年上のかわいい人を、愛してみようと思います。 (だから私にこのひとください)
そう心の中で呟いて、彼女のおでこにキスをした。
end.
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