***かえってきたまち子さん***



【その8 雨が降ったら、地は固まり。】




 キス、してしまった。
 あの、まち子さんと。まち子さんと、まち子さんと。
 ちょっぴり強引にしちゃった感はあるけれども、キス。
 たかがキス。
 されどキス。



 はあ何この感触、前にしたときと違う。
 あのうっかりしちゃったときと違う。
 だってそのはず、そうなのだ。
 私は、あのときよりも、まち子さんが、好き。
 好きで好きで、たまらない。



 触れた唇から全身に、じんわりと暖かさが広がって、愛しいという気持ちだろうか、嬉しいと言う気持ちだろうか、それともその両方? なんだかよくわからないけれど、ぐわっとした熱情? 情熱? パッション? あれ、みんなおんなじ意味か。
 そんな感じの何かが、ハートの奥底からぐわっと湧き上がって来る。

 口から何かが飛び出して来そう。そのくらい、ぐわっと力強い、そんな衝動。
 とにかく、とにかく、愛しさが。溢れて、溢れて、仕方がない。
 私の手のひらからじんわりと伝わるまち子さんの熱は、さらにさらに熱くなっている……ような気がする。
 まち子さんの肩と、唇。かたかたと小刻みに震えている。

 怖いのかな、どうなのかな。緊張してる? 私の愛が伝わりすぎてビビってる?

 ねえまち子さん、今、どんな気持ち?

 怖がってないのかな、嫌じゃないかのな。うっかり衝動的にキスをしちゃったわけなんだけれども、まあ心の中ではちらっと一応、気にしてみる。やれいけそれいけゴーゴーゴーな私ではありますが、まあね、相手の意に沿わないことは、出来るだけしたくない。嫌がることはしたくないし、優しくしたい。
 まち子さんはというと、私のことをはねのけるわけでもなく、ただそっと、私の胸元に添えていた手のひらを、ぎゅうと握り締める。緊張しているのかな。嫌ではないのかな。
 いつもだったらこの辺で、ちろりと舌を出して、ぺろりと舐め上げ、ちょっとだけそちらの反応を伺いながら、唇をこじ開けた後、それいけやれいけと、相手の口の中の甘ぁいお味を堪能する私なのですが。
 でもなんていうか、私はそれすらもなんだかもったいなくて、今この瞬間を味わいたくて、まち子さんの唇の感触をもっともっと感じていたくて、何回も何回も、触れては離れてを繰り返す。
 啄む、というよりは、触れて、離れる。離れて、触れる。
 ふわん、ふわんとした感触と、少しささくれだった唇の皮の感触。
 まち子さんと私の唇が当たるたびに、私の唇の皮が、その感触で、ぱつんと伸ばされるのを感じる。

「ん……っ」
 抵抗している声なのか、それとも気持ちいいのか、どうなのか。まち子さんが、甘く鼻にかかったため息のような声を漏らす。
 私はその声にたまらなくなって、まち子さんの顔が見たくて、反応が見たくて、そっと薄く目を開いて、唇を離す。そして間近でそっと、まち子さんの顔を見つめる。
 まち子さんはというと、眉根を寄せて、何ともいやらしい艶めかしい表情で、閉じたまぶたに縁取られた、長いまつ毛を震わせている。
 はぁ、と開放された唇をかみしめて、深く深く息を吐き、まち子さんもそうっとまぶたを薄く開ける。目が合う。
 しばらく、見つめ合う。

 きらりと光る眼鏡のレンズ。その奥に見える、潤んだ瞳。戸惑うような、でも、なんだかどこか、ぼうっとしているような表情。
 半開きの唇、赤いほっぺ。ふと、耳たぶから首筋まで視線を下ろすと、まち子さんの白い肌が、まっ赤に染まっている。



 あーめん。
 らーめん。
 おお、神よ。



 あーもうなんなんですか、コレなんなんですか。なんかのご褒美?
 私、死ぬ? 死んじゃう? もうここで人生終了?

 いやでも我が人生に一遍の悔いなし……ッ!!!! と力強く天に向かって拳を掲げそうになるところをぐっと我慢する。
 落ち着け、落ち着くのよ、私ったら。

 だって、だって、もし、もしもよ? これから先、まち子さんとフォーリンラブインザスカイになったら! なったらさ!!


 楽しいことはこれからじゃあないの!!!



 死ぬな! 死ぬんじゃない!!!
 立て! 立つんだジョー!!
 エンドマークのその先は、まだまだまだまだ続くのであるぞ!!!!





「あの…っ、ねぇ、もお、時間が……っ」
 私の思考なぞいざ知らず(あたり前だ)、まち子さんが、ぐいと、私の胸元の手のひらで押し返す。
 私は、離れがたくて離れがたくて、意地でもまち子さんにしがみつく。
「ね、皆が変に思うわ。そろそろ……」
 この後に及んで、こんなシチュエーションで、職場の飲み会のことなんか出してくる。あーもうなんなの。処女なの真面目なのお局なの。そんなところが大好きなんだけども。
「……ねえ、まち子さん、」
「……何?」
「私のこと、好き…?」
「えっ……」
 唇が触れそうな間近な距離で、私はぐいっと大きく目を見開いて、まち子さんを見上げる。多分、鼻の穴開いてる。あ、やっぱり開いてた。ふんっと鼻息ひとつして、まち子さんをぐいぐいと抱きしめる。
 ひゃ、と、小さな悲鳴をあげて、まち子さんはごくんと喉を鳴らす。

「そ、それは……、」
 その、と口ごもる。
「ねえ、お願いだから、好きって言って。私のこと、……好きっ、って」

 あ、とまち子さんが唇を動かす。
 その唇の形が綺麗だなぁと、じいと見つめる。あれ? なんだか、鼻の奥がつんとして、視界がぼやけてきたじゃありませんか。

「あなた……なに、泣いてるの……」
 まち子さんはそっと私の胸元に置いた両てのひらを、背中にまわして引き寄せてくれる。
「はれっ?」
 気付かなかった。ほんと気が付かなかった。なんと私としたことが。百戦錬磨百発百中の私としたことが、あとからあとから涙を流しているじゃありませんか。
「やだぁ〜、せっかく綺麗に完璧に化粧したのにぃ〜」
 あとからあとからこぼれる涙。これはきっと私のまち子さんへの想い。女の涙は武器になる? なんて巷じゃそんなこと言われてるけど、女の涙はねえ、武器っていうか、なんていうか、感情の高まりゲージっていうか。
 自分でもびっくりだ。こんな、ただちょっと触れるだけのキスしたくらいで、こんなに感情が高ぶって、目から汁が出てくるなんて。
 私はなんだか気恥かしくなって、まち子さんの肩にぐいぐいと顔を埋める。
 まち子さんは、やや本気で「げっ」とか言っているけど気にしない。
 ていうか、「ゲッ」は無いじゃないですか。「げっ」は。


「……ちょっと、鼻水つくじゃない、離れてちょうだい!」
「いやんまち子さんひどい〜。えいっ、ぐりぐり」
「きゃぁあああ。ちょ、ちょっと! ティッシュ! ティッシュあるからもう!」

 もっとくっついていたかったけれども、むりやりひきはがされてしまった。
 ちーん、と鼻の頭が真っ赤になるまで鼻をかむ私を見て、まち子さんは優しくふふっと笑う。


 ああ……
 ああ……
 もう……



「好きぃ……」

「鼻たらしながら言わないで。鼻、ちゃんとかみなさい」


 なんてね。


 まち子さんが、優しい。
 なにこれ何のご褒美ですか。私死ぬのかな。

 まち子さんの声が優しくて、私にとても優しくて。いつだってまち子さんは優しかったけれど、今まで以上にまち子さんが優しい気がする。
 ねえ、お願い。お願い神様仏様まち子さま。
 
 私の心の真ん中が、愛しさと切なさで、ぎゅううとつぶれそうだ。心の真ん中、ハートの中から、何か暖かいものがあふれてあふれて、たまらなくなる。
 恋だ。恋ってやつは。本当に。

「……まち子さん、」
 私は視線を足元に向けたまま、そっと、まち子さんの手のひらに手のひらを触れさせる。その感触に、まち子さんがびくりと身体を震わせる。私が怖い? それとも戸惑ってる? ほんの少しだけ、ほんの少しだけ、不安になりながら、そうっと視線をまち子さんの顔へ戻す。
 すると、彼女は、真っ赤な顔をして、今まで見たこともないような、何とも言えない表情を浮かべて、私の目をじいっと見つめていた。

 深呼吸。


「まち子さん、ねえ、お願い。私のものになって」
「……あ、」
「お願い、すき、すきなの」
「あ、あの……っ」
 やれ行けそれいけ、押せ押せどんどん。顔は泣いてて、心では愛しさが溢れてて、その一方で、頭の中は、往年の名作ベルサイユのばらのオスカルよろしく、『行けぇ〜〜〜!!!』と勇ましい。私の頭と心は大忙しだ。だって時は満ちた。行くなら今だ。陥落させよ! 攻略しろ!! この牙城をを!!!
 だんだん目が据わって来た私に、まち子さんはといえば、ただ顔を真っ赤にして、「ああ」とか「ううっ」とか呻くばかり。ああ、なんて難攻不落なのこのお城は!! でもそこが好きいい!!

「……あの、わたし、」
 急に鼻息の荒くなったわたしに戸惑いつつも、まち子さんは私のてのひらをそっと握ってくる。その優しい感触に、私の胸の鼓動はさらに高まる。
「は、はい!」
 急にぴん!と姿勢を正した私に、まち子さんは少し笑って、言葉を続ける。
「ディズニーランド、行ってみたいの」
「え?」
 でずにーらんど?
 でずにーらんど、って、あの、でずにーらんどですか?
 視線でそう聞き返すと、まち子さんは、こくんと頷く。そして恥かしそうに、心底恥かしそうに、口元を手のひらに当てて目を閉じる。
 ああなにそのしぐさ…ちょおかわいい…。
「あ、あの、わたしね、その、今まで、そういうところ、お友達が居なくて、その、興味あったんだけど……」
「えっ、」
 今この話の流れででずにーらんど?
 あまりの唐突さにぽかんとしている私の反応にちょっとむっとしたのか、まち子さんが顔をしかめる。
「あ、あの、だからね、」
「……えーと、まち子さんそれって、その…」
 もしかして。
 それって。
「デートのお誘いってやつですかッ?!」
「なっ」
「えっ、だってだってだって、そういうことですよね? 私と、この私と、恋人たちの憧れの聖地、生きとし生けるすべての人類の夢の国、ディズニーランドへ、私と、私と一緒に行ってくれるってことですよねぇえっ?!」
「うっ」
 ものすごい勢いで肩にしがみついて、ゆっさゆっさとまち子さんの身体を揺らした私に、まち子さんはやっべぇな、余計なこと言ったなあ、なんてそんな表情を浮かべる。そんなことは気にしない。だって、だって、これって。まち子さんからのお誘いなんて、今の今までなかったんだもの!
「……嬉しい」
 じんわりと心に広がる嬉しさを噛みしめて、私はなんだかまた泣き出してしまいそうだった。そんな私を見つめて、まち子さんは、眉を下げて笑う。
 ああ。
「……また泣きそうな顔してる」
「だって」
 まち子さんは優しく私を抱きしめると、背中をさする。
「わたし、その、本当にこういうのって慣れてなくて。あの、あなたの気持ちは、よく、分かったから、」
 ぽつり、ぽつりと一生懸命話してくれるまち子さん。真剣なまち子さん。
 ぶつけた気持ちを、しっかりと受け止めて、一生懸命考えてくれているんだなあ。そんなことが、すごく伝わってくる。
「あなたのものに、なる、とか、あなたのことをどう思ってるか、とか、わたし、本当によく、分からなくて、……その」
 誠実に私なんかに向き合ってくれるその姿に、私の心の中の、ヨコシマな心も洗われるようだった。ああ、なんていうか私、本当に、この人が好きだなあ。職場の後輩、しかも同性。普通だったら、普通だったら、こんなのはぐらかすか、気持ち悪がるか、(考えたくないけど)言いふらすか、無視するか、そんなもんだろう。悪く考えてさ。

 おんなじ女子で、おんなじ造りで。世間一般からは、かなり随分いや絶対、個性的だと言われる茨の恋の道。私だって分かってる。女がおんなを好きだってこと、かなり個性的だし普通じゃないってこと。
 まち子さんみたいな恋愛に免疫のない人からしたら、私なんか気持ち悪がられても仕方がないのだ。成就するなんて、稀だってこと。
 贅沢は言わない。あわよくばハメた…じゃなくて致したい。愛し愛されハッピーでいたい。あれ、贅沢か。

 でも、でもね。
 こんなふうに、一生懸命考えて、正面からわたしに向き合ってくれた。その事実だけで幸せだ。
 私、まち子さんを好きになってよかった。

 心からそう思う。



「まち子さん、」
 そっと、名前を呼ぶ。
 大事に、大事に、大切なもののように。
 ありったけの気持ちをこめて。
「……はい」
 まち子さんも、そうっと、応えてくれる。
「…お友達から、お願いします」
 そう言うと、まち子さんが、ごくんと喉を鳴らした。
「私たち、お友達になって、色んなところ行きましょう。まち子さんが行きたいとこ。ランドでもシーでもゆーえすじぇーでも」
 抱きしめた身体が微かに揺れる。耳元で、ふふ、とまち子さんが笑う気配がする。
「あわよくば、泊まりで!」
 なんてうっかり調子に乗って言ってみたりしたら、べしりと背中を強く叩かれた。
「ほんっと、あなたって……、」
 そう言ってうんざりしたような声を出される。へへへ、なんてちょっと私は照れ笑い。
「まぁいいわ。わたしが行きたいのは、シーかな。そうね、今度。一緒に、行ってくれるかしら?」
 そう言って、まち子さんは、私を抱きしめる腕に、力を込めた。



「……さ、そろそろ本当に行かなきゃ。時間よ、みんな待ってる。変に思われるわ」
 そう言って私から身体を離したまち子さんは、あっと言う間に、いつものお局の彼女の顔。
 そんな彼女が、いじわるそうなその顔が、ツンとしたそんな彼女が、やっぱりやっぱり好きだなあとか思うんだけど。
「まち子さん、飲み会、さぼっちゃいましょうよぉ」
 つい、名残惜しくて甘えたい気分で、彼女のスーツのジャケットを、ちょっぴりかわいくひっぱってみる。
 そんな私を見て、きらりんと眼鏡を光らせたと思ったら。
「それも、いいかもね」
 なんて、今まで見たことのないような表情で、ふふんといたずらっぽく笑う。


 ああ、ああ、神よ……。
 その顔、反則……!


「ちょ、あなた…!」
 うっかり鼻血だしてブッ倒れそうになった私に、まちこさんはきゃあと恐怖の声を上げる。おっといけねえ、うっかり死ぬところだった。まだ私は死ぬわけにはいかないのだ。
 へへへ…なんてにやりと不敵な笑みを浮かべ、中腰で必死になって踏ん張る私を見て、まち子さんは、心底嫌そうな顔をする。ちょ、な、なんですかその顔は!「こいつやべえなあ」って顔に書いてありますよ!
 
「ま、まあでもね、やっぱり、社会人として、飲み会は行っておくべきよ。……これからの、あなたのためにも。今日の飲み会は、あなたが主役なんだから。主役が居ないと、やっぱりよくない」
「まち子さぁん…」
「とりあえずしっかり立つ! 胸を張る!」
「はい、お姉さま!」

 びしい! と私に人差し指を突き出し、まち子さんは私の腰をむんずと掴む。
 ああ、ああ、そんなに優しくされたら、わたし、わたし、また泣いちゃうじゃないですか。そんでそんなとこ(腰)掴まれたら、ヤダ私濡れちゃう。なんて頭の中で思いながら、また涙がぶわりと出てきた。ああ、なんかもお、今日の私、変。変よ。

 するとまち子さんは、くすっと笑って、ハンカチを差し出してきた。思わずそれを鼻にもっていき、息を吸い込む。

「ふぁあ、いいにおい。まち子さんの匂い〜」
「ちょっと、やめてよ…」
 思わず、と言った感じでまち子さんがべしりと私のおでこを叩く。
「あっ、痛い。ひどい! まち子さん!! あーん、もっとぶっていたぶって!」
「うん、いつもどおりに戻ったわね。さ、行きましょ」
 軽やかに私をスル―して、まち子さんがツカツカと先に歩いていこうとするので。
「手! 手! つないでくれなきゃ嫌です!」
 なんて我儘を言ってみる。だってだってだって、なんかもお、いいじゃん! ここまで来たら! いいじゃん!
「手ぇえ〜?」
 まち子さんはくるりと私を振り向いて、また心底嫌そうに顔をしかめる。あーんまち子さん! 不細工! かわいい! 天才! マーヴェラス!

「だってだってだって、私たち、お友達になったんじゃないですか! だからお願い後生だから手を繋いでください!! それがだめならお尻触っていいですか!」
「あなたの中の友達って何なの……」
 そう言って、まち子さんは、嫌そうに、心底嫌そうにしながら、顔を真っ赤にして手のひらを差し出してきた。
「……ちょっとの間だけ、なんだからね」
 なんてね。そう言って。





 なにはともあれ。



 雨降って、地固まった?



 手に手をとって私たちは、一緒に駆けだしたのだ。
 





 next coming soon…





(2017/4/30)


end.











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