**ないちゃいそうよ、すきすぎて。(っていうか泣いてる)**





「どうしてないているの?」


 電話の向こう、こまったような声。



 そんなことをいわれたって、出てくるものはでてくるのだ。









 涙がでるとき、視界は揺れ、一瞬のうちに世界はみずのなか。
 合図はのどがきゅっとつまるような感覚。
 そして鼻の奥からつーんとした感覚。

 そして目頭に熱がつたわり。
 熱はぶわっと目のふちをつつみ、
 わたしのまぶたに、わたしのまゆげに、わたしの鼻の奥に、あつく、はげしく、熱が、ともる。

 ぶわっ、と。


 泣くことはきらいだった。
 泣けば負けだと思っていた。
 歯をくいしばって、前をむいて。
 こぼれおちそうになったら、上をむいて、ウウウとのどをならす。



 ウウウ、
 ウウウ、と大粒のなみだをぼろぼろとこぼす、そんなことはまんがのなかだけのできごとで。
 くやしくても、かなしくても、だれかが死んだときでさえ、わたしの涙はじわりとにじむ、ただそれだけのその程度のものだった。
 じわりとにじんで、じわりと視界がゆれ、ひとつふたつぽろりぽろりと水滴こぼれ。
 そしてそれは頬を伝い、ゆっくりゆっくり、下へしたへとぽろぽろ落ちる。
 そこで濡れたほほをぐいとぬぐって、鼻からながれる水分そのままに、顔をえいやと空にむけ、ちーんとティッシュで鼻をひとかみ。
 するとそれだけですぐに泣き止み感情おさまり、次の瞬間にやりと笑い。
 かなしいきもちも、くやしいきもちも、だれかがいなくなったときでさえ、それまでの感傷はどこへやら。
 次の瞬間にはきもちをきりかえられた。
 きりかえられた、はずだったのに。




「ねえ、どうしてなきやんでくれないの?」



 わからない、わからないんだ。



 ぼろぼろとあふれる涙そのままに、ずっとうつむいて足元をみる。
 こぼれおちる涙をそっとてのひらにつかもうと、片手をおわんのかたちにして、身体の前でかまえてみる。
 ぼとり、ぼとりとうけとめた涙は、どこかなぜか、あたたかくて。
 
 そういえば涙には二種類あって、冷たい涙はかなしいとき。あたたかい涙はうれしいとき。そのときのきもちで涙の温度はちがう、そんなことを思い出す。
 あたたかい。じゃあこれは?



「わたし、なにか言った?」


 なにも、なにもいってないよ。


「ならなんでなくの?」


 どうしてだろうね?



 すきだよといわれて、あいしてるとささやかれて。
 すると心臓のおとがどったんばったんごちゃごちゃと、ガンガンわんわんからだじゅうに響いて、のどの奥がきゅっとつまる。



 視界は揺れ、一瞬のうちに世界はみずのなか。
 そして目頭に熱がつたわり。
 その熱はぶわっと目のふちをつつみ、
 わたしのまぶたに、わたしのまゆげに、鼻の奥に、あつく、はげしく、熱が、ともる。

 ぶわっ、と。


 ぼたぼたと落ちる涙を、てのひらでうけとめて。


 電話のむこうの彼女の沈黙を、彼女の気配をひたすら、ただひたすら感じとる。





 「声がでない。
 声がでなくなるんだ。
 泣けるんだ。なけてくるんだよ。おかしいね」




 そう繰り返しつぶやくわたしを、心配するような、うかがうような、そんな気配。





 きもちわるいよねおもいよねなんなんだろうおかしいね
 すきっていわれただけで、すきっていっただけで、ただそれだけ、ただそれだけなのに。
 なのに、なのに
 ただただ泣けてなけてなけてなけて、
 なけてなけてしかたがない。しかたがないんだ。





「あたし、今しぬかもしれない。泣いて泣いて泣いてひからびてしぬんだほら人間の70パーセントは水でできてるっていうし今このまま泣き続けたら、きっとひからびて、しぼんで、きえて、なくなる。
じゃなきゃ、ひからびてしわしわのおばーちゃんになる。きっとなる絶対なる。ぜったい絶対きっとなるんだ」
 吐息混じりに、嗚咽まじりに、わあわあとわめいてみる。
 おかしい。ほんとうにおかしい。
 今まで生まれてから、いまこの瞬間息してきたなかで、こんなことは、こんなことは、こんなことはなかった。


 ほんと、なかった、ってのに。




「……しわしわになっても、さちこはきっとかわいいと思うよ」
 すこし、考えるような間があって、そんなことばがきこえてきた。
 しわしわのしわしわ、しわくちゃのおばーちゃんになったら。
「しわしわに、なっ、たら、あんま、かわいくない、と思うんだ」
 うう、とうなりながら、ふうふうと息をつきながら、呼吸がとまりそうになりながら、わたしのなみだはまたぶわっとふきだす。
 なんでこんなことで泣けるんだろう、なんでこんなに泣けるんだろう、ほんとうに、ほんとうに、ほんとうに意味がわからない。
「うーんでもほら、人間外見じゃないでしょ?中身がさちこだったら、たぶんおばーちゃんでも愛せちゃうきがする」
「気がする?」
「おっなんだ食いつくな、きがするじゃなくて、ぜったい愛せるよ愛するあいせる約束する」
「やくそく?」
「約束!」
 元気よくそう言って、けらけらわらう彼女のわらいごえそのままに、わたしはそっと目をとじて、そしてちいさくちいさくためいきをつく。
 目をとじて、思い浮かべる。しわしわの自分を、思い浮かべる。
 まぶたのうら、うかんだのは、しわしわのわたしではなく、なぜかそれはしわしわのくしゃくしゃの紙きれ。
 紙切れ。かみきれ。うすっぺらの、ぺらぺらの、ピンクいろの紙切れ。



「だってさちこでしょ?中身はそのままさちこでしょ?じゃあそのまま愛すよわたしきっとあいせるよ」




 あたまのなかの紙切れを、たてにひとつ、ふたつみっつ細く長くひきさいてみる。
 しわしわのわたしは、しわしわのかみきれは、ちいさく、ほそながく、ばらばらに、切り刻まれる。

 そしてぽっと火がともり、炎になり、わたしはぼうぼうと、燃えていく。


 ぼうぼうと燃えて、くろこげになって、そしてぱらりぱらぱら灰になる。


 そしてその灰は、その灰は…。





「さーちこ、」
 現実に、もどされる。電話の向こう、やさしい声。
 一生懸命な、やさしい声。

「……ひとをすきになるって、中身をすきになるって、そういうことなんじゃないのかな」
「そーいうこと?」
「そう、そーいうこと。外見なんて、どーでもいいってこと。なかみがすきなら、外見だって、年齢だって、…性別だって」
「……せいべつだって」
「……ささいなこと」
「ささいなこと?」



 ないてないてないてないて。
 わらってわらってわらってわらって。

 せつなくなったり、のどのおくがぎゅっとなったり、ためいきついたり。


 ああ恋って、恋ってやつは。





「……ね、たくさん泣いたらおなかすいた」
「それではこれから会いましょう」
「会ってどうするの?」
「牛丼たべよう」
「こんな夜中に?」
「たべおわったら、手をつないで、さんぽして。余力があったら、…愛を、たしかめあって」
「……たしかめあって、だきしめて?」
「そしてすきだよって、たくさんいわせて」
「……ちえこ、」
 すき、と声にならない声をだして、そしてためいきをひとつついた。
 電話の向こうで彼女は、ふ、と息を飲んで、すこし止まって、そしてまた声にならない声でうんとつぶやく。
 気配がした。なんだか少し、泣いてるような気配だった。





 涙がでるとき、視界は揺れ、一瞬のうちに世界はみずのなか。
 合図はのどがきゅっとつまるような感覚。
 そして鼻の奥からつーんとした感覚。

 そして目頭に熱がつたわり。
 熱はぶわっと目のふちをつつみ、
 わたしのまぶたに、わたしのまゆげに、わたしの鼻の奥に、あつく、はげしく、熱が、ともる。

 ぶわっ、と。


 泣くことはきらいだった。
 泣けば負けだと思っていた。
 歯をくいしばって、前をむいて。
 こぼれおちそうになったら、上をむいて、ウウウとのどをならす。


 でも。
 でも、今は。



「あんたのことすきすぎて涙がとまんない」
「じゃあたくさん泣いたらいいよ。ないたらたくさんだきしめてあげる。涙をぬぐって、ぎゅっとだきしめて、そして泣き止むまですきだよって、背中をさすってあげるよ」
「そんなことしたら、永遠になきやまないよ」
「じゃあ永遠に、ずっとそうやってあげる」
「永遠に?」
「えいえんに」
「ずっと?」
「もちろん、ずっと」
「ずっと、ってあいまいなことばはすきじゃない」
「じゃあ信じなくていいよ、でもずっといるよそばにいる」


 …ああ、また。まただ。またのどの奥がきゅっとなる。
 声にならない。声をだせない。返事がしたいのに、なにも、なにもいえなくなる。



「あっ鼻すすってるー、はなたれーやーいやーい」
「うっさいばか。ばかめばかめ」
「ばかってひっどーいっていうか車でむかえにいく。いまからそうだね、一時間後あたりに」
「…わかった」
「それまで、なきやんで、顔あらって、ちゃんときれいきれいにしといてね」
「うん、うん、わかった」
「あら素直。いい子いいこ。あとでいっぱいだきしめてあげる」
 あいしてるよ、とささやかれ、それじゃまた、とささやかれ、電話は切れ、わたしはまた、ためいきひとつ。
 あいかわらず、のどの奥は、きゅっとつまるような感覚なのだけれど。




 泣くことはきらいだった。
 泣けば負けだと思っていた。
 歯をくいしばって、前をむいて。
 こぼれおちそうになったら、上をむいて、ウウウとのどをならす。



 でも、今は、


 今は、べつに。



 泣くことも、わるいことじゃない。
 そう、こころから思えてくる。
 その感情がどこからくるのか、だれの前で泣くのか
 そしてそれが、とても、しあわせな、しあわせな感覚からだったら。



 ひとりまたそっと目を閉じて、まぶたのうら。
 灰になった紙切れは、ふわっと風にのって、まいあがり、どこかへ飛んでいく。

 そしてその灰は、きらきらとかがやきながら、どこか遠くへ、とおくへとんでいく。


 切り裂かれたのはわたし。
 灰になったのはわたし。
 きっと、いままでのわたし。
 彼女に出会うまでのわたし。

 ふわりと舞って、きらきらかがやいたのは、きっと。
 きっと、これからのわたし。
 彼女と出会って、手をつないでからのわたし。
 きっと、きっと、それからのわたし。
 

 
「…さ、顔あらわなきゃ」

 

 一時間後には彼女が来る。
 顔をあらって、目の下をパックして、きれいに化粧して、めいいっぱいおしゃれしよう。
 そして口角をあげて、にぃっとわらって、彼女がきたら、めいいっぱいだきしめよう。


 いとしい彼女がくるまであとすこし。
 わたしはいそいそとクローゼットをあけた。


 ないてないてないてないて。
 わらってわらってわらってわらって。

 せつなくなったり、のどのおくがぎゅっとなったり、ためいきついたり。




 ひとをすきになる。
 すきになって、なけてくる。



 それはなんて、なんて。

 なんて、すてきなこと。





 おわり


(2009/4/4)



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