**ぷちぷちぷらーな ぷらーな きらきら**
ぷちぷちぷらーなぷらーなぷらーな
1 現在 ことのはじまり
「あと半年の命です」
そう医者に告げられたのはついさっきで。
娘がのどの奥を鳴らした。
声にならない悲鳴だった。 不思議と、悲しくはなかった。医者は、痛々しそうにかわいそうな者を見るような目で私を見た。
こんなとき、いい医者というのは無表情であるべきなのだろうか、それとも、この人のように悲しい顔をするべきなのだろうか。
ビジネスライクでいいと私は思う。
そんなどうでもいいことを考えた。
「ああ、そうですか」
私は冷静だった。
心のどこかで、私は私の命が永くないことを知っていた。
そのとき一瞬思い出したのは、彼女のことだった。私が愛したただひとりの彼女。
『私はなんだか長生きする気がしないよ』
彼女は、私の、同級生だった。
2 過去 あの子の思い出
「私はなんだか、長生きする気がしないよ」
そんなことを言って彼女が笑う。透き通るような白い肌、青い冷たそうな頬、すこしだけたれ目がちのやさしい瞳、そしてピンクの唇。
私は彼女が好きであり、彼女も私を好きだった。
私たちは同級生だった。中学校が一緒で、クラスは一度も一緒になったことはなく、高校に入ってから仲良くなった。
彼女のことは、顔だけは知っていた。いつもどこかふわふわしたような雰囲気で、何故かいつも目を惹いた。彼女のことは何も知らなかった。声がどうとか、名前は何とか、好きな食べ物は何だとか、部活に入っているのか、そして仲のいい子は誰だとか、そんなことすら何一つ、知らなかった。
ただ、彼女の顔、彼女の瞳、彼女の肩、彼女の足、彼女の後姿、そしてどこかふわふわした雰囲気、それだけが、私の中の彼女だった。
今思えば、あれは一目ぼれだったのだと思う。
見ているだけでよかった。仲良くなろうなんて少しも思わなかった。
ただ見ていたかった。理由はわからなかった。
たぶん、初恋だった。
「私ね、あなたのこと知ってるよ」
高校一年生の夏休み。補習で登校した私に、さとうあさみ、そう彼女が名乗った。
「同じ中学だったよね、私ね、あなたのこと知ってるよ」
隣の席で、そう彼女が話しかけてきたとき、私はああ、こういう声をしていたのか、と妙に感動したものだった。
彼女の瞳、彼女の吐息、彼女の声、彼女の気配、私の近くに、彼女が居る。
何だか少し、泣きそうになった。
「ねえ、名前は?」
「名前?」
「そう、私、ずっとね、あなたとお話できたらな、って思ってたんだ」
その瞬間、私は初めて彼女の笑顔を見た。
笑うとたれ目になることも、このときに知った。
3 現在 一時間後
「おかあさん?」
ふと、現実に引き戻された。
「ここは……」
周りを見回した。ここは、確か彼女が好きな場所だった。記憶がない。確か、病院に居て、それから……。
無意識のうちに彼女のことを考えて、無意識のうちに彼女の面影を追ってしまったのだろうか。
考え込んでいる私を見上げて、不安になったのか、娘がぎゅっと私の手のひらを握った。
「おかあさん」
震える声。
私は、大丈夫、と小声で答えて、寄り添ってきた娘を抱き寄せた。
「大丈夫、だから」
大丈夫。
何が、大丈夫だというのだろう?
空は、とても蒼く澄み切っていた。
いやになるくらい、澄み切っていた。
娘はもう一度、おかあさん、とつぶやいて、私に抱きついた。私はいつまでも娘の頭を撫でていた。
4 過去 あの子の思い出
「とってもいい天気の日にね、空を見上げると、白い光がひゅーんてたくさん飛んでるんだよ」
「なにそれ、ウソでしょう」
「ほんとだよ」
そう言って、彼女が笑う。
「あーとてもいい天気」
二人で見あげる空。
初めて声をかけられてから、私たちはなんとなくお昼は一緒にとることにしていた。晴れた日は屋上で、雨の日は階段で。
どっちかの教室で食べたらいいじゃない、と言ったら、「だって、もったいないじゃない」と彼女は言った。
「何がもったいないの」
「せっかく学校に居るのに、教室だけで過ごすなんてもったいないじゃん」
そういう理屈ってありなんだろうか。
「だって学校には屋上だって準備室だって視聴覚室だって階段だってあるじゃない!」
「いやあ……それは、そうだけど」
「今この学生であるというこの瞬間に!高校生であるというこの瞬間に!学校を堪能しなくてどうするの!」
ふん、と鼻息荒く、びし!と目の前に人差し指を突き出された。
まあ別に私としてはどこで何を食べてもどうでもいいので、別に反対する理由はないのだが。
そういうわけで、わたしたち二人の間には、「晴れた日は、屋上」という暗黙のルールがあった。
「じゃーん!ビニールシート!」
そう言ってうれしそうに彼女が袋からなにやら取り出す。
「これを敷いて屋上でお弁当食べるのが夢だったんだ」
鼻歌を歌いながらシートを広げて、早々とそこに寝転がる。
「お弁当は?食べないの?」
「食べるよ、でもほらねえ、ちょっと隣に来て」
そう促されて彼女の隣に腰を下ろす。
「ねっころがって」
おとなしく身体を倒した。
「さ、空をじいーっと見て」
言われるままに、じいっと見る。
「……ね、見える?」
「何が?」
「だから、白い光がぴゅーんって」
「見えない」
「うそお」
だって見えないものは見えないのだ。
しばらく二人でぼんやり空を眺めていると、となりからぐううと妙な音がした。
「…ちょっと」
「あーおなかなったおなかなった、食べなきゃ」
そう言ってけたけたと笑って、彼女がぎゅっと手のひらを握ってきた。
「!」
ぎゅっと握られた手のひら。彼女の体温が妙に熱い。
「……あー、顔、赤くなってる」
上半身だけ身体を起こして、ふふ、と笑いながら彼女が寝ている私の顔を覗き込む。
彼女の長い、長いふわふわの髪の毛が太陽の光にあたって、とてもまぶしい。
「……きれいだね」
ふと、言葉がこぼれた。
「え?」
「あんた、とてもきれい」
そう言うと、やっぱりね、といいながら、彼女は照れくさそうに笑った。
5 独白
昔から、どこかわたしは感覚が普通とは、普通の人間とは、たぶんきっと少し、ほんの少し、ずれていて、それは、どうやって表せばいいのかわからないけれど、違和感。
そう、周りと自分との違和感を、常に、常に感じていた。
それは決して悲観的なことではなくて。
ふとした瞬間、こう、こぼれてくる違和感は、
その違和感は、いつも感じている感覚と、周りと、自分と、時間と、空気と、光と、
わたしをとりまくすべてに、何故か、いとしさを感じる、どこか幸せなものだった。
それはどこか、懐かしく。
それはどこか、せつなく。
それはどこか、恥ずかしく。
それはどこか、うれしい。
わたしが彼女に感じる違和感は、いままでのどの違和感ともまったく違い、
自分でも、どう表していいのかわからないが、
ともかく、それは、すごく、すごく、感覚的な、抽象的な、右脳的な、感傷的な、なんといえばいいのだろう、とにかく、言葉ではあらわすことのできない感情だった。
私の中の彼女に対するその感情は、
恋であり、愛であり、欲であり。
しかしながら、しかしながら。
恋というには深く、愛というにはまた透明で、欲と言うには崇高で。
なんとも言えないものだった。
わたしはまだ若くて、とてもまだ若くて、
どうしていいかわからなくて、もどかしくて、苦しくて、でも幸せで、切なくて。
彼女が笑い、私の名前を呼ぶ、ただそれだけで、
その瞬間こそが全てな、一瞬が永遠のような、、、、、、、
言葉とは、何ともどかしいのだろう。
言葉でしか他人に感情を伝えられないということは、ひどく、苦しいことだ。
そして言葉で表せないこの感覚は、どう、彼女に伝えたらいいのだろう?
どう、伝えれば、よかったのだろう?
6 現在 その次の日
花に囲まれたその大きな屋敷の門の前で、目的の人物は待っていた。
昨日の宣告から一夜明け、朝起きて私はまず一番最初に紙とペンを手に取り、デスクに向かった。
今、私が生きているうちに、私がいずれ会いたいと思っている人間全てに、会いに行こうとひらめいたのだ。半年もある。ならば、まずは今までお世話になった人物に、挨拶にいくべきだろう。
今そこで佇んでいる老紳士は、真っ先に名前が浮かんだ人物だった。
会いたいと。
今なら、会えると。
そう思って、私は古い電話帳を手に取った。
ひさしぶり、と笑って、その紳士は手のひらを差し出した。
「……あれ以来だね、電話をもらえてうれしかったよ」
ぎこちなく私はその手のひらを取った。
「お元気そうで……、でも、手のひらがしわしわ」
そっと彼の手のひらを両手で包み込む。記憶の中の彼の手のひらよりも、ずっとしわしわで、ひんやりとしていて、すべすべだった。
こんなふうに、あの日あのとき、彼のてのひらはひんやりとしていただろうか?すべすべだっただろうか?
記憶を探ってみたけれど、でも、それも何百年も、何千年も、遠い昔のように思われた。
「まあね、年をとったから」
ふふ、と笑う目元はまったく変わっていない。
年をとるということは、とてもすてきなことだ。
目元に刻まれた皺が、私たちの間の空白の時間を思わせる。
私が知らない彼の時間。彼が知らない私の時間。
また、私たちは、こうして、時間を共にする。
「……相変わらず、素敵ですね」
「僕はもう、おじいさんだよ。君も相変わらず素敵なお嬢さんだね」
「お嬢さん、ていう歳でもないんですよ」
そう言って笑うと、いいや、君はぜんぜん変わってないよ、そう言って彼が笑う。
「おや?…ああ、その子は……」
私の後ろに隠れている娘に気づいて、彼は目を細める。
いとしいものを見つめる瞳。
握っていた彼の手のひらを名残惜しい気持ちで離し、後ろでもじもじしている娘に手を伸ばした。彼女の手のひらを握り、少しだけ前へ引っ張って、彼へ挨拶をするように視線で促す。
「こ、んにちは」
私の目線を受けて、娘はおっかなびっくりというような顔つきで、彼に頭を下げる。
「この子、ひとみしりで」
そう言って娘の頭を撫でる。
「……こんにちは、」
彼はまた、目を細めた。
いとしいものを見つめる瞳。私と、娘を、ひどくやさしい瞳で見つめる。
「ふたりとも、よく来たね」
そう言って、彼が娘に手のひらを差し出すと、娘ははにかみながらその手を握った。
やさしい、心地よい彼の視線を、私は目を閉じて、感じてみる。
next coming soon...
(2008/7/6〜)
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