***こころからの祝福を***





 おめでとう、おめでとう、おめでとう。心からの、祝福を。






 かわいいでしょう?はずむようにそう言って、先輩はそのちいさなちいさな宝物を、そっと私に渡してきた。
 わたしははいと頷いて、そのちいさなちいさな宝物をそっと抱いた。
「落とさないでね。まだ、首が座ってないんだから」
「かわいい。ちょっと目元が先輩に似てますね」
「口元は、ダンナなのよ。鼻の頭は、おばあちゃん」
「どっちの?」
「向こうの」
「ああ、それは」
  微妙ですね、そう調子をあわせると、先輩はそうでしょう?と、くすくすと笑った。





 先輩が好きだった。
 この二つ年上の、小さな色白の彼女が好きだった。
 きっかけなんてわからない。ただ彼女のふわふわの明るい色の長い髪の毛が、ピンク色のやわらかそうな頬が、柔らかいやさしい声が、好きだった。
 いつも優しい甘い匂いがして、そこに居るだけで周りが幸せになれる、そんな素敵な人だった。



「やっぱり、痛かったですか?」
「ん、まあね。ちょっと切れちゃったし」
「ええっ、本当に?」
「うんそう。縫ったもの」
「うわあ…痛そう」
「そんなでもないけどね。へへ、ちょっとびびってる?」



 とてもかわいらしくて、いつでも笑顔で、すごく優しい。
 私はただの後輩で、声をかけることなんてできなくて、いつも遠くから眺めているだけだった。見ているだけで幸せだった。


『本、好きなの?』
 先輩が図書委員をしていたことを聞き付けて、放課後せっせと図書館へ通ったものだった。
 同じ曜日。同じ時間。同じ席に座って、同じ鞄を持って。読書をするふりをして、先輩をずっと眺めていた。一瞬でも目が合うと、もう文字なんて頭に入ってこないありさまで。
 先輩がある日話しかけてきてくれたときは、本当に息が止まるかと思った。
『本、好きなの?いつも、ここに座って、いつも本を読んでいるよね』
 先輩が話しかけてくれたあの日の帰り道、嬉しくて嬉しくて顔がにやけてどうしようもなくて、思わず心の中で叫びながら、走って帰ったことを思い出す。


 やがてよく目が合うようになり、微笑みかけてくれるようになり、沢山話かけてくれるようになり。そして先輩が私を名前で呼んでくれるようになった頃、私は気付いたのだ。


 これは、恋であると。




 恋を自覚すると同時に、先輩は卒業になり、縮まっていった私たちの距離も、それ以上縮まることはなく。
 それでも。それでも私は理由を作り、先輩と連絡をとり続け。



そして、あの日。





「ごめんね、急に。びっくりしたでしょう」
 結婚したことも、妊娠したことも、何も告げられなかった。何年ぶりかに、久しぶりに連絡がきて、待ち合わせ先は病院で。行った先では、先輩がかわいい赤ちゃんを抱いて、立っていた。
「……みっちゃんにも、見てもらいたくて」
 そう言って、照れ臭そうに笑った先輩は、嫌になるほどあのときのままで。



キスをした。手をつないだ。好きだと言った。
そして、拒絶され、離れていった、あの日のままで。




「嬉しいです、すごく。すごくかわいい。本当に嬉しい」
 そして今。私の腕の中には、ちいさなちいさな宝物。



 どういうつもりで、私を呼んだのか。
 何も、考えてはいないのか。
 あのときのことは、なかったことになっているのか。
 私に、みじめな思いをさせたいのか。

 腕の中には先輩の宝物。まだよく目も開いてないし、口も利けない。産まれたばかりのちいさないのち。口がきけないことに、目を開いてないことに、この子が今、私を見ていないことに、少しだけ、安堵する。


「……みっちゃん、今、幸せ?」
 そう言って、先輩は私の頬を拭う。いつのまにか、私の目からは、涙がこぼれていた。
「元気にしてた?」
 久しぶりに聞く声。やわらかい響き。優しい声。
「ごめんね、私、会いたかったんだよ」


 大好きだった、私の先輩。





 ごめんねなんて言わないで。
 会いたかった。その一言だけで、充分だ。

 先輩が何を考えているのかは分からない。本当はどういうつもりなのかも分からない。
 でも。その一言。その一言だけで、死にそうになるくらい、とても嬉しい。




「…先輩、」
 私は先輩の問いには答えずに、ただ腕の中のちいさな宝物を抱き締めた。愛しさをこめて。せつなさをこめて。嬉しさをこめて。
 腕の中にはちいさな命。見れば見るほどいとおしい。
「キスしていいですか?この子のほっぺに」
 だってとてもおいしそう。おどけるようにそう言って笑ってみせたら、先輩は何か言いたそうにして、私を見て微笑んだ。

 
答えは、聞かない。



 私は、自分の腕の中の、ちいさなかわいい頬にキスをした。
 腕のなかの宝物は、声もなく、かすかに笑う。やわらかくて、ちいさくて、やっぱり先輩と同じ、優しい甘い匂いがした。








end.








(2007/07/02)



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