**かえってきたまち子さん。**
【そのよん トイレと芳香剤とまち子さんのかほり】
はいさてここは。誰も居ない女子トイレの個室。しかも密室。
目の前には伝線したストッキングの女上司。
何かエロくないですか。エロくないですかこれ。
「あなたいったい急にどうしたの。教えてほしい仕事あるんじゃなかったの?」
ぴくぴく、と釣り上がったまち子さんの眉毛が動いた。
「何だってこんなところに連れて来たの」 忌々しそうにそう言って、まち子さんはふんぞり返って腕を組む。人差し指はとんとんとん、とリズミカルに腕を叩く。 あーすごく怒ってる。やっぱり怒ってる。
まーこうやって怒られるのも無理もない。自分でもちょっとあの行動は行き過ぎたと思う。
あの後むりやり談笑しているまち子さんとヨンの間に割り込んで、むんずと彼女の腕を掴み、えいえいやあやあとずるずるとトイレに引っ張りこんできたのだ。
愛とはかくも激しきもの。
時間が経って冷静になってみれば、我ながらずいぶんと強引な行動をしてしまったもので。しかも勤務中?しかも仕事中断させて?でもやっちゃったもんはしょーがないので、とりあえず開き直る。何故なら私は過去を振り返らない主義なのだ。過ぎ去った過去を悔やんでもしょうがない。とりあえず、今は前進あるのみ。明日に向かって打つべし打つべし。まち子さんに向かって進むべし進むべし。
それにしてもこの行動パターン。何かちょっと既視感が。
それにしても。
「狭い密室に二人きり……うーんなかなか燃えるシチュエーション…っ!…あ痛っ」
うっとりとそんなことを呟くとおもいっきり頭を叩かれた。目の前にはすんごく怒ってるような顔のまち子さん。きらり、眼鏡の奥が光る。
「…何を考えてるの何を」
「何をってそんな決まってるじゃないですかっってあ痛いっ!!ちょー痛いっ!ちょっと足踏まないでくださいよー!踏むならかかとでにしてくださいつま先だなんてナンセンス…ってきゃー!!ちょっとまち子さんいくらなんでも私のこと叩きすぎじゃないですかあー」
いくらMでもこれはないわー。
ぶちぶちと呟く目の前で、まち子さんはそれはそれはご立腹の様子でふんぞり返る。ザマスメガネがさらにきらりんと光る。ああ…何か鞭とか持ったら似合いそう。
「本とになんなのアナタはもう!江口さんに失礼でしょ?それに何考えて仕事中にこんなところに引っ張ってきたの!」
「だって私…まち子さんが好きだから…って痛ーい!もーなんですかさっきからぽかすかぽかすかえいもう大好き!」
ここはトイレで個室で密室だ。私はがばりと、ここぞとばかりにまち子さんを抱き締めてやる。
あーまち子さんの匂い。いい匂ーい。と思ったら目の前の芳香剤だったちぇっ。
「ぜんぜん答えになってなーい!!あ、あ、あなたね、もう本当にからかうのいい加減にしてくれない?!」
腕の中でじたばたともがくまち子さん。へっへっへ。そんなに暴れられると燃えちゃうぜ…なーんて思いながら、心を鬼にしてまち子さんを一旦離す。
「だって…、私、イヤだったんです。あのヨン…じゃなくて、江口さんとまち子さんが一緒に居るのが。それにまち子さん、なんかまんざらでもなさそうな顔してたじゃないですか…」
そう言っておもいっきり傷ついたようにまち子さんを見つめた。
「はあああ?何言ってるのあなたは。ただ仕事の話してただけじゃない」
「いえいえいえいえ、いいえいいえ、だってだって江口さんいやらしい下卑た笑みを浮かべ、舌なめずりをしながらまち子さんを舐めるように見つめていたじゃないですかっ」
「はあああ?し、舌なめずりっ?!」
おっとっこはみんな〜おっおっかっみっなっのっよ〜♪
誰の歌だっけ。
ああおぞましいおぞましい。何か思い込みすぎじゃないかとか、自分でも思うんだけど、でもこのくらい言っておいたほうがまち子さんの為だ。だってだってだって、あの男からは危険な匂いがする。百戦錬磨百発百中の私のカンだ。
まち子さんは真剣な私を心から呆れたような顔で見つめる。
なーんでーすかーそーのかーおーはあー。
「あなた…。ちょっと大丈夫なの?病気じゃないの?」
そういいながら、まち子さんは自分の頭を指差した。
病気って。しかもそのポーズ。
「頭ってことですか!ひっどーいまち子さん!!!!チューしますよっっチューっっ」
「わーちょっとちょっと待ちなさい待ちなさいったら何なのあなたーっ」
わーわーぎゃーぎゃーと個室で揉みあういい大人の女性が二人。ちょっと異様。
「人が来るでしょ廊下にまで声聞こえるでしょまず落ち着きなさい!落ち着きなさいったら!」 きいきいぎゃあぎゃあと言いながら、まち子さんがぽかすかと私を叩く。痛い。非常に痛い。本気だ。この人本気で叩いてる。
うーむ。しかし、言われてみればそれもそうか。一時の激情で自分だけならまだしも、まち子さんの品位まで落とすことはいただけない。この間読んだベストセラー、『女性の品格』にもそう書いていたじゃあないか。
『忍ぶ恋こそ品格あり』と!!!
……いやたぶんちょっとだいぶかなり意味違うのは分かってるけれど。 でもオトナの女として、身をひくことも大事だろう。
私はしぶしぶと身を引いた。ほっとしたような表情のまち子さんが憎い。かわいさあまって憎さ百倍。
かくなる上は。 作戦変更。
「まち子さん…」 こほんと咳払い一つして、私は改めてまち子さんに向き合った。とりあえず、心を落ち着かせて。
「な、何よ」 まち子さんは未だ警戒するように私を見つめる。ふっふっふっふ。怯んでおるな。私は心の中でほくそ笑みながら、思いっきり表情を作ってやる。切なげに、かわいらしく。そして、深呼吸して、とどめのひとこと。
「江口さんみたいなひと…、タイプなんですかっ……?」
「はああ?」
素っ頓狂な声を出してまち子さんが間抜けな顔をする。
なんですかそのリアクション。なんですかその呆れたような顔。
だってだってそんなこと言ったって。気になるモンは気になるものだ。
私は怯まずにまち子さんにずいと身を近づける。
「私、まち子さんが好きなんですよ…?本当の本当に好きなんですよ……?」
「ううっ」
さらに切なげに、悩ましく眉を寄せて、まち子さんにすがりつく。ほーらほらほらまち子さん、怯んでる怯んでる。
さらにさらに私はずずいっと身体を前に出して追い詰める。こーやってじわりじわりと質問責めして、まんまとまち子さんの気持ちを探りだそうと言う寸法さ。
まち子さんは、あーとかうーとかむーとか言いながら、うつむく。やっべ。ちょうキスしたい。
「江口さんは、別に、タイプでもなんでもなくて…」
「でもまち子さん、江口さんにときめくーって言われたとき、すごく顔赤かったじゃないですか」
「それは…、ただ私、男の人と話すことに慣れてないからで…」
…そういえば今まで誰ともつきあったことないって噂あったっけ。
ファーストキスくらいで泣き出しちゃうひとだもん。もしかしたらもしかすると、それも本当なのかもしれない。
ふと、冷静になる。
こんな小学生みたいなやりとり、何だか可笑しい。まち子さんてば、私の質問なんて軽く流しちゃえばいいのに、無視しちゃえばいいのに、もごもごと言いながら大真面目にしどろもどろに返事をする。
(なんていうか、このひと)
本当に、こっち方面の話題は弱いんだなあ。
ちょっとだけ観察しながら、私はさらにつついてみる。
「まち子さんさ、今までだれともつきあったことないって本当?」
「……誰が言ってたの?」 ちょっとだけ、不機嫌そうにそう返事を返してくる。あらまあ、恥ずかしいのかしら。恥ずかしがることなんてないのに。むしろ好ましい重要なファクターなのよ。 私は気にせず質問を続ける。
「誰でもいいじゃん。ねえ、本当?」
「う…」
ううとうなりながらまち子さんがにらんでくる。ああ、なるほどなるほど、そーゆーことかそーいうことか。
「この間の私とのキスが、初めて?」 私はさらに質問をする、ううと顔を真っ赤にしてまち子さんがまたうなる。目が涙目。
「それは…」
そうだけど…と消え入るような声を出して、まち子さんがうつむく。 うーおーなーにーこのひとーちょうやべーちょうやべー。
「まち子さんかわいいのにこの間のが初めてだったんだ?」
「なに…」
「私が初めてだったんでしょ?」
「なんか…」
「ねえ、どうだった?どんな感じだった?気持ちよかった?泣いてたよね」
「なんか、その聞き方、……」
まち子さんはそう言って、ぼわあっとまた顔を赤くする。
「………」
ウーン。いかん。濡れそう。
私と言う人間は、結構単純だ。まち子さんが、好きな人が、私を見てくれている、私の言葉で反応したりしてくれる、それだけで、ただそれだけで、結構機嫌が治ったりして。
さっきまでの嫉妬はどこへやら。何かもーどーでもよくなってきた。
いくつになっても恋というのはやっかいなもので。
好きな人の、ひとつの言葉、ちょっとした行動でこんなにも心が浮き沈みする。
「……あーあ」
ため息をつく。そしてまち子さんにぎゅうと抱きつく。
「…まち子さん、私、まち子さんが好きすぎて、しにそうです」
「そんな…」
「まち子さんが好きすぎて吐きそう」
そう言って、目を閉じると、おそるおそるといった感じで、腕を回されるのを感
じた。あったかい。 「爆発しそう」 「爆発って。本当に変な子ね」 くす、と笑いを含んだ声が耳をくすぐる。少しだけ腕に力が込められたのを感じた。
抱きしめられるのは好きだ。本当はこっちが抱きしめてあげたいんだけど。抱きしめて、甘やかして、めちゃくちゃにしちゃいたいんだけど。
あー何だろう、この欲求不満っぷり。わたし、本当に、頭が馬鹿になってる。
恋とはかくも、楽しきものなり。
「……仕事、戻りたくないな」
「それは、……駄目よ」
「分かってるけど」
暫く、抱き合う。
「……まち子さんところで」
「なに?」
「ストッキング」
「あ、やだ買ってくるの忘れた」
「あたしの予備のをあげます。その代わり」
「?」
「脱がさせてください」 「!!」
「い、い、いいかげんにしなさああああいっ」とこれまで聞いたことのないような大きな声で、叫ばれ、叩かれ、とりあえず。
その日は、それで、終わったのだけど。
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(2007/9/23)
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