**かえってきたまち子さん。**




【そのご 女王様と魔法のくちべに】







きい〜っすしたくう〜なるう〜まっほっおっのおおおお〜♪





 別に普段から女性を好きだということは隠しているわけではないのだけれど。
 なぜなら私にとって女性を好きになることは息しているみたいに自然なことであるからで。残念ながらよく見る映画や漫画、はたまた小説の主人公のように、「ああっ、同性を好きになってしまったジュテームモナムールワンダホー」なんて悲観にくれたことは産まれてからこのかた一度もない。それどころか小、中、高と公言していたくらいだからして。(だれも信じてはくれなかったけれど)
 まあそーいうことで、「同性が好き」ってえのは個性のひとつだと思っている私なのである。
 でも大人になった今、さすがに世間一般の大部分は「異性が好きなんだなー」ってことくらいはわかるし、聞かれるまでは自ら言ったりしない。女は黙してむやみやたらに語らぬもの。ミステリアスな女のほうが、いろいろモテるって雑誌にも書いてある。

 そんなわけで、こんなわけで、でもいくらなんでも、何も言っていないのに言い当てられると、ちょっと微妙にびっくりするわけだ。




「やーんあれもそれもどれもかわいいい!」
 きゃーんと黄色い声上げて、沢屋さんがねええっ?と振り返る。きらりとうるうるぷるぷるの唇をぐいーっと突き出し、
「ねえねえさっきの色とお、こっちの色、どっちがかわいくなるかんじいい?」
 なーんて、きゃあきゃあと聞いてくる。





きい〜っすしたくう〜なるう〜まっほっおっのおおおお〜♪




 今をときめく歌姫が、高らかに歌い上げるCMソング。それにあわせてこれまた新進気鋭の女優たちがにこりと微笑みウィンク・ウィンク・ウィンクで、カメラは唇にクローズアップ。そこで、画面に文字が舞い躍る。


『キスしたくなる、魔法の、ルージュ』


 そんなCMを百貨店の化粧品カウンター内の小型ビジョンで眺めつつ、へえへえと私は生返事をする。
 今は仕事帰りでアフターファイブ。こうやって沢屋さんの買い物につきあっているわけなのだけれども。あーなんていうか、まち子さんが足りない。っというわけで、ちょっと私の気分はブルーである。
「ねえええちょっとおおお、かねやんってばああ」
「うーんオレンジ」
「今つけてるのはピンクベージュ!さっきはコーラル!ちょっとかねやんってばあ!」
「じゃあ緑」
「緑ってなによおおおお」
 もおおおおおおおお!とぎゃあぎゃあと騒ぐ沢屋さんをなだめつつ、そのお店のお姉さんがなにやらアドバイスをしているようだ。
 そして私はためいきひとつ。思うことはただひとつ、まち子さんのこと。
 この間のトイレでの戯れからコレといってなーんにも触れ合ったりいちゃいちゃしていないもんだからもうはっきりいって限界だ。
 ランチを誘ってもディナーを誘ってもあーだこーだと断られる。
 なんのためのオフィスラブだ!なんのための同じ職場じゃ!
「なーんだーよーもーおおー」
 そろそろキスのひとつやふたつぶちまけたいもんだーなーこのやろー。

 あーそれにしても、なんていうか。なんていうか。



『キスしたくなる魔法のルージュ』




 これマジだったらいいのにほんとにマジだったらいいのになあこれつけたら?キスし放題?
 いやーまいったなコレまいったこれまいっちんぐまち子さんだコレ。

 へへへへと声にならない声を出しながら口角がぐいーっとあがるのを感じる。


「まち子さんに塗って『まち子さんがこれ塗ってるから悪いんですよ…イタズラな唇にKiss★略してイタKiss★』とか言いながら!?言いながら!?言いながらコレどーよどーよどーよコレって……っつ、きゃあああああっ、んっ、んっ、あっ、」

 ぞくぞくぞく〜と背中に何か。


 ぐいーっと振り向くとそこには店員さん。

「あら美人」
 うっかりラッキーとか思ってしまう自分の頭のピンク色加減にげんなりしてしまう。あああまち子さんがまち子さんがまち子さんが足りない。
 そんな私を面白そうに眺めつつ、「気になりますう〜?これ新色なんですよぉお」なーんて、にやーっと笑ってつつつつ……と、そのおねーさんは背筋をなぞってくる。
「あああええ、ええ、ええ、と、とても気になります」
 ひええええとぞわぞわくる寒気を抑えつつ、なんとか笑顔を作ってみる。やだ私ったら、うっかり感じちゃったわもう。
 たまに居るんだよね、こういうなれなれしい店員さん。いきなりタメ口とか(これは服屋に多い)、いきなり肌さわってきたりとか(これは化粧品コーナーのおばちゃんに多い)。
 でも背筋はないわー。
 そんな私の心の中を知ってか知らずか、店員さんはまだぐりぐりと私の背中を指で押してくる。
「あっ、ちょ、そ、その、もう、」
 やめてくれませんかやめてください本当に背中はやばいんですやばいんですやばいんです。
 青くなったり赤くなったりしている私を面白そうに店員さんが見つめてくる。あああなにこれなにこれ女王様?!女王様なのねえ!?
 思わぬところで遭遇した女王さまに動揺していると、女王さまはおもむろに私の耳にそっと唇を近づけて囁いてくる。
「…この口紅はね、本当にキスしたくなる魔法がかかっているの」
「はあ」
 頭、大丈夫?
 おっといけねえ私ったらつい突っ込みを。
 そんな不信感ありありの私の様子なんて気にしないで女王さまは笑って、自分の唇をすっと指差す。
「ね、見て」
 促されて見てみると、女王さまの唇の上には細かく、本当に細かく、繊細なちいさなちいさなラメが散りばめられていて、店内の照明に反射してきらきらと光っているのが見える。
 うーん、ラグジュアリー。
「遠くから見ると、そんなでもないんだけど、……ね、こうやって……近寄ると、」
 ね?と言って、女王は私の顔のもんのすごく近くまで顔を寄せてくる。
「ほら……、きらきらしているでしょ」
「あ……」
 こ、こ、これは……本当にあと数センチという距離だろうか。
 ななななんだなんだなんだ。
 なんだこれなんだこれなんだこれ。


 くっちびるっとくっちっびっる、めぇーとめっと手と手え〜
 かみさーまは何にーもきーにーしーなんかーしってっなっいっ♪


 一昔前に流行った歌が頭の中をガンガン流れる。サビだけエンドレスエンドレスエンドレス……。
 なんとなーく妙な雰囲気。
 じいっと瞳の奥をみつめられて、なんだかふらふらと……、その、唇に…、…触れ……。



「かあーねーやーんー!!!!」


「おふっ!!!」
 妙な雰囲気に危険信号を察知したのか沢屋さんが横から私の頭に見事なチョップを入れる。
 痛い。もんのすごく痛い。

 ふと正気に戻ると、女王さま…いや店員のおねーさんは近づけていた顔を私から遠ざけて、にっこり笑った。


「ね、キスしたくなったでしょ?」
「は…、は、はい」
 そう言ってどぎまぎするわたしを見て、満足そうに微笑む。
「自分で買うのもいいけれど、好きな人にプレゼントするのもすてきですよ」
「すっ、好きな人っ?!」
 それって、わたしが女好きと知っての言葉かっ?!
 意味もなく動揺すると、また店員さんはにっこりと意味深に笑う。
「……好きな人にプレゼントして、自分に塗ってもらうんです」
「あ、ああ……、なるほど、なるほど……」
 なるほど、そういうことね。
「わー、それっていーかも!」
 沢屋さんが無邪気に手を叩いて興奮する。うーんでも確かに。
 口紅塗ってもらうのも塗るのも結構プレイとしては興奮するんだよね。
 ぬれた唇ってけっこうくるんだよなあ。そんなことを思いながらにやにやと笑う。
 そんなわかりやすい私の表情をまたおもしろそうに覗き込んで、店員さんがにこーっと笑った。
「あ、あの」
「はい?」
「顔、近いです」
「あら」


 つ、疲れた。なんか疲れた。
 ほう、と何となくため息をついた私に、店員さんは「イタKiss、私も好きですよ、」なーんて、言ってきた。


 あ、何かばれてるや。






「で、何買ったの沢屋さん」
 店を出てそう聞くと、沢屋さんは「んーとー」なんていいながらごそごそと包みを開けようとする。
 おいおいお前は小学生か。
「いやいやいやいやいいから。ださなくていいからいいから、おうちであけなさいおうちで、ねっ」
 ごそごそと包みを開けようとするその手にそっと手のひらを添えて、ぐいぐいと出そうとしたものを逆に紙袋に押し込む。
「えーっそう?」
「今度の飲み会のとっておきの瞬間のためにせっかく買ったんでしょ」
 何だとっておきの瞬間て。そう自分でもつっこみをいれつつ沢屋さんの手のひらをぐにぐにと握り締めた。
「んーまー、そーだけどぉ、ってあたたた。手、痛い、痛いよかねやん」
 今度の飲み会っていうのは、あの社内のスーパーアイドル・偽ヨンさまと私の歓迎会なわけなのだけれども。
 彼女の話によると、今度の飲み会は社内の女子全員参加の「ドキッ★女だらけの江口さん争奪お色気大会」なのだそーだ。
 なんだお色気って。

「だってだってだってえ、あーんなにかっこよくってさわやかで仕事できるのにフリーなんだよお?そーりゃー社内の女子みーんなが気合入れて江口さんにアピールするわけさあ」
 何が気に入らないのかぷくーっとほっぺに空気を入れて膨らませて、口を尖らせながら、ぐりんぐりんのパーマがかかった髪の毛を人差し指でもてあそぶ。
 かわいいなあこの子(ばかだけど)なんて思いながら、私はヨンさまを思い浮かべてみる。
 うーん。まじでよくわからんなー。
「男はほかにもいっぱいいるじゃない。ほら私の向かいの席の小野さんとかさあ」
 そういいながら向かいの席の好青年を思い浮かべる。
 白い肌に白い歯、清潔そうな黒髪の短髪にいつもネクタイがディズニーキャラだ。
 だめかな、どうかな。結構あの子もモテそうなんだけど。
「だーめだめ!そんなん!やっぱ女に生まれたからには最高の男性とロマーンチックな恋したいじゃないのー!」
「そうなの?」
「そうなの!」
 そんなもんなのかなあ。なんか女って面白い。

 まあ、そんなわけで、みんながその「決戦の日」に向かってエステやら脱毛やら美容院やら化粧品やらなんかいろいろ頑張っているようなのだ。
 なんか、……ほほえましいというか。なんというか。


「江口さんってそんなにかっこいいかなあ?」
「えーかねやん馬鹿?大馬鹿?節穴?でくのぼう?」
「はあー?何をいうんだこのおっぱいは!揉むぞ!揉みしだくぞ公衆の面前で!」
「きゃーっいやーっへんたーいっ」
 いやんばかんとげらげらわらいながらじゃれている私たちの前方を、なにやら仁王立ちして睨んでいる人物がいた。



 おおあの神々しい足は!腰は!貧相な胸は!ザマスメガネは!




「あっなったったっち!こっこっこっこの公衆の面前でなんてなんてなんて破廉恥な破廉恥な破廉恥な……」
 わなわなわな…と漫画みたいにぷるぷると震えているまち子さん。
 あーんこんなところで会えるなんて!まあ一時間前に会社で会ってるけど!
 あいかわらずまち子さんはどこで会ってもまち子さんでなんだか安心する。
 
 あーキスしたい抱きしめたいなんかいろいろべたべたしたい。


「げっクソババアじゃん……」
 心底いやそうな沢屋さんのお尻をぺしりと叩くと、私は満面の笑みでまち子さんにぶんぶんと手を振った。
「まーあーちっ子っさあああああああん!!!!」
 やれいけそれいけ大きく両腕をひらいて駆け寄ろうとしたその瞬間。



 まち子さんの背後からひょっこりとうさんくさい笑顔のエセ韓流スターが姿を現した。



 もういーよ、お前でてくんなよ。
 そんな私の祈りもむなしく、やっぱり奴は、そこに居た。 


 


next




(2008/5/10)
※イタkiss・・・「イタズラなkiss」という少女漫画でっす。琴子さいこー。



inserted by FC2 system