**かえってきたまち子さん。**




【そのろく 暗いよみちのうすあかり】



「今帰りなんですかあ〜、」
 そんな沢屋さんの、かーわいらしー、よそいきなのんきな声とは裏腹に、わたしの胸中は穏やかではない。
 なぜならなぜならなぜなら、ヨン様とまち子さんがどっからどーみても仲良く一緒に現れたからである。
「二人で一緒に帰るところなんですか?」
 とりあえず、まち子さんにつりあうスマートな大人のオンナとして、平静をよそおいつつ、にこりと微笑みながら、ヨン様に声をかける。
 荒れるな声。ひきつるな表情筋。震えるなこめかみ。おなかの中はどーろどろ。
「ん、そうだね。そんなところかな。ね、まち子さん」
 そう言ってヨンがとなりのまち子さんに微笑みかけた。っていうかおいこらまてこらそこの色男。
 まち子? 今まち子って言った? 今まち子って言ったのこのオヤジは!
「え、ええ、そうですね、」
 まち子さんは顔を真っ赤にして眉間に皺を寄せつつ、ヨンに一礼する。
「あ、江口さん、わたしはここで」
「そう?」
「あの、荷物」
「いや、駅まで持つよ。重いだろ?帰りはバスだったよね、ターミナルまで持つよ」
 見ると、ヨンの手には大きな紙袋。ちらりと覗く中身には、これまた大量の、本・本・本。
 うーむ、なるほど、結構重そうだ。きっと本屋にでも行ってきたんだろう。まち子さんてば勉強熱心だから、きっとたくさん買い込んだに違いない。
(やーん、そんなまち子さんちょうかわいい!萌え!かわいい!萌え!……ってまてよ? 本屋デート? 本屋デートですかコレ?!)
 そんないやーな考えに行き当たり、私は人知れず歯軋りする。
 ひっどーい、まち子さん! 本屋くらい私ついていくのに! ついていくのに! ちょうど新刊のマンガも出ている頃だし一緒に行ったのに! 行ったのに!

「あーほんとだあ、重そう〜。これ、何の本なんですかあ?」
 沢屋さんも興味深々で、ヨンの持つ紙袋の中身をのぞいている。おいおい鼻の下伸びてるぞ。かわいい顔がだいなしだぞ。
 女性諸君、何かを上から覗くときは、鼻の下に注意すべし。なぜならどーゆーわけか、覗こうとすれば覗こうとするほど、鼻の下が無意識に伸びる傾向があるからだ! …ってまあ、どーでもいいけど。そんなくだらないことを思いながら、私はちら、とまち子さんを見つめる。
「……ただのつまらない本よ」
 私の視線に気付いたのか、またまた顔を真っ赤にしながらそう言って、まち子さんはぷいとそっぽを向く。それを見てぷくーと頬をふくらませる沢屋さん。そんな二人を見て、ヨンはくすくすと笑っている。
(むうう……、何だか入りづらい…)
 なんとなく3人の会話に入れずに、一人でむかむかしている私をよそに、まち子さんとヨンは、ほのぼのとやり取りをする。
「あの、荷物…」
「いいっていいって。気にしないで。沢屋さんもその荷物、重そうだね。持ってあげようか? 君もバスかな? 金崎さんは特に荷物なさそうだね。二人で買い物でもしてきたの?」
 きゃあ、と沢屋さんはうれしそうに声を上げて、いいんですかぁ、なんて言いながらヨンにとびつく。
 わたしはヨンににこりと微笑みかけて、奴の手のひらからまち子さんの荷物をぶんどった。
 あっ予想以上に結構重い。
「あ、金崎さん、いいよ、俺、持つよ」
 うっせーバーカ! まち子さんの荷物が穢れるわっ、なーんて口にも出さずに、私はまたまたにこり、笑みを浮かべる。うーん、我ながら素晴らしい微笑だ。まるで観音様かマリア様。そんなことを思いながら、私はヨンに向かってひらひらと手を振った。
「や、大丈夫ですよ、これくらい。私、実家が農家なんで、幼少のころからいつも米30キロ持って歩いてたんですよ!」
 ま、そんなんウソだけど。実家のおとーさんは、ただのサラリーマンだけど。
「えっ、そうなの?」
「かねやん、まじなの?」
「あなた、……すごいのね」
 ……あら意外とみんな食いついた。……じゃなくて!
 私はにっこりと頷きながら、ヨンからぶんどった紙袋をよいしょっ、と持ち直す。おっとよろける。けれど気合でふんばる。
「私、まち子さんと家近いんです。それにあんまり江口さんに荷物もたせちゃったら悪いじゃないですか。私こう見えても結構ちからもちなんですよ」
「でも」
「大丈夫だいじょうぶ、まち子さんの荷物、私が持ちたいんです。ね、まち子さん、かまいませんよね?」
 心配そうに見つめてくるヨンに、これでもか!と微笑を向けながら、横目でちら、とまち子さんの様子を伺う。まち子さんは急に怪しい笑みを浮かべながら視線をおくる私に驚いたのか、びくりと肩を震わせた。
 顔が真っ赤。たぶん、明らかに困惑している。まち子さんてば顔に出るタイプだなあかわいい…っていうかそんなに困惑せんでも。ちょっと傷つく乙女心。
「あ……」
 まち子さんは眉間に皺をよせたまま、なにやらもごもごと口を動かしている。
 そんな様子を見て、空気を読んだのか読んでないのか、ヨンもまた、にこりと爽やかな笑みを浮かべた。
「……そう? じゃあ、ごめんね。ありがとう」
 よーしよーしよしよしよし。心の中でガッツポーズ。
「本当は美女3人に囲まれて食事といきたいところだけれど……、今日は持ち帰りの仕事があってね。金崎さん、こんどご馳走させてね」
「えー、そんないいですよお」
 心の底からお断りだーいっ、と私は心の中で悪態をつきつつも、ヨンに微笑み返す。沢屋さんといえばこのスマートで自然な爽やか好青年な流れに、うっとりと熱いまなざしをヨンに注いでいる。
 おいおい目がハートだぞ。口からよだれたれてるぞ。

 ……しかしながらこの男は、ほんとうに危険だ。ここまで自然な天然の好青年を演じるのは並大抵の努力ではできまいて。
 これは天性のものなのか、はたまた血と涙とど根性の賜物なのかはよくわからないが、これはデキる。かなりデキる。




 うーむっ、相手に不足なし……ッ!




 っとまあそんなことは置いておいて。
 ま、でもこうなれば話は早い。とっととこの危険人物からまち子さんを離さねば!なーんて思いながら、わたしは隣のまち子さんに向き直る。
「あ、そーいえば私、まち子さんに相談に乗ってもらいたいことがあったんですっというわけでまち子さんこれからちょっとつきあってもらえませんか! …っとよろける」
「えっ?」
 またふらり、とよろけた私をまち子さんは、驚きつつも心配そうに見つめてくる。あーなにその表情。
 萌え! まち子さん、萌え!

「っというわけで江口さん、沢屋さんのことお願いできます?」
 心の中のほとばしるまち子さん萌えの興奮をおさえつつ、くりん、とめいいっぱい爽やかスマイルを浮かべて振り返り、私はヨンにぺこりと一礼。 まち子さんにつりあうようなスマートかつクールな大人は、心が荒ぶれよーとも顔には出さず、いつも清楚に美しく爽やかに。
「えっ、あ、いいけど」
 そんな私の清楚かつ美しく爽やかな鬼気迫る笑顔に圧倒されたのか、ヨンはぽかん、と口を開けた。ちょっと唐突過ぎただろうか。でもまーどうでもいいや、ヨンだし。ヨン様だし。
 そんな私を見ながら沢屋さんが小さくガッツポーズ。そしてグッジョブ!グッジョブ!と親指をつきたててウインクしてくる。
 そんな彼女に小さくウインクを返して、私はスマートかつ自然に、そしてどさくさにまぎれて、空いているほうの手のひらで、ぐい、とまち子さんの手のひらを握った。
「っというわけでまち子さんちょっとこっち、ついてきてくれますか?」
 そう言って、私はずんずんと駅とは反対方向に歩き出す。
 後ろからまち子さんがなんだかごちゃごちゃ言っていたけど気にしない。

 このときの私の頭はもーなんていうか、さっさとヨンからまち子さんを離すことしか考えていなかった。






「……ちょっと、いつまでこうやって歩いてるの」
 背中から不機嫌そうな声が聞こえた。
 そんな声を軽く無視して、私は一方的に握り締めていた手のひらを、わざと指を絡めてつないでみる。
「……っ」
 後ろから息を飲む気配を感じる。
 少しの沈黙。
 こつこつと響く足音。
 周りは暗い。
 街灯はちらちら、夜の空気。
 暗い夜道の薄明かり。
「……ねえ、重くないの?」
 後ろからやっぱりむすっとした声が聞こえる。
「重くないです」
 私はきっぱりと明るく言って、あいかわらず前を見てまっすぐ歩く。何だか妙な雰囲気。
「……嘘。重いはずでしょう?」
 この妙な雰囲気に負けずといった様子で、後ろから大きなまち子さんの声が聞こえる。
「重くないです。まち子さんの荷物なら、どーんな荷物だってもってやりますよー」
 そう言って私はつないでいた手のひらに、さらにぎゅっと力を込めてやる。
 すると、微かに、まち子さんが握り返してくれたのを感じた。

 ……それだけのことが、とってもうれしい。 

 

 

 どのくらい歩いただろうか。


 駅の方とは反対の方向へずんずんと歩いていた私は、こつこつと街頭に響くまち子さんの足音にあわせて口ずさみながら、まっすぐ前を向いてひたすら歩いていた。
 実のところ、お腹の中はまだもやもやとしていて、喉もどこか重い。何を考えるわけでもなく、何かに腹を立てるわけでもなく、どう言っていいかわからない感情だけがぐるぐると駆け巡る。
 衝動的に強引に連れてきてしまったはいいものの、実はあんまり何も考えていなかった私である。
 甘美な時間をすごそうとか思っていたわりには、実際となるとどうしたものかと途方に暮れちゃったりするわけで。
 妄想の中ではあーんなことや、こーんなことをやってやるーなんて息巻いていたりもするのだけれど、実際本人を前にするとそーいうわけにもいかなくなるのであり。
 実はちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、シャイな私なのである。

 そんな感じで思春期の男子よろしく悶々としながら、後ろも振り返らない私に痺れを切らしたのか、まち子さんが急に立ち止まった。


「……離してちょうだい」
 振り向くと、むっつりと下を向いて、不機嫌そうなまち子さんがそこに居た。
「私、それ、自分で持つから」
 そう言って、つないでいる手のひらを離そうとする。私は無言で、そんなまち子さんの手のひらをますます強く握る。
「……! 何よ」
 あからさまに不機嫌そうな声を出して、まち子さんが私をにらみつける。ザマスメガネの奥が、きらり、光った。
「手、離すの嫌です。手、つなぎたいもの」
 じっ、と眼鏡の奥の瞳を探るように、見つめる。泣いているのかな、それともなみだ目? 周りはとても暗くて、街灯の光はとても控えめで、もっと近寄らないと、よく見えない。
 そう思いながら、私は一歩、まち子さんの方へ近づいた。
「………、からかわないでよ」 
 近づいてきた私から逃げるように、まち子さんは一歩、後ろに下がる。下を向く。声が、震えてる。
「……怒ってるんですか?」
「別に」
 下を向きながら、ぷい、と顔を横に向ける。そんな様子をじっくり観察しながら、私は持っていた荷物を足元にそっと置いた。
 そして、空いたほうの手のひらも、まち子さんのもう片方の手のひらに添えて、そっぽを向いているまち子さんの顔をじいっと覗き込んでみる。
「じゃあなんでそんなにむすっとしているの? 私が強引に連れてきたからでしょ?」
「……違う」
 急に顔を近づけてきた私に戸惑ったのか、まち子さんは息を飲む。ごくり、そんな音が聞こえるような気がした。
 ええーい、このままでは話がすすまない、そう思って私は唐突に話を切り出してみた。

「ねえ、まち子さん、ヨンと仲いいの? いつも一緒に帰ってるの?」
「そんなことは、……今日はたまたまよ」
「たまたま? でも最近、ずっと私を避けてたでしょう? 私と一緒に帰るの、嫌?」
 本気で避けられている、というわけではないとは思うけれど、実のところずっと最近、そんな気がしていた。ただ忙しい、ってだけではなくて、なんとなく、私に近寄ろうとしないというか、なんというか、そんな感じで。
「…嫌とかそういうのじゃなくて……、私、どうしていいかわからないし…」
 責められていると思ったのか、下を向いてもごもごと話すまち子さん。伏せられたまつげが長い、そんなことを思いながら、私はぼうっとまち子さんのおでこを見つめる。
「……どうしていいかわからないって?」
 つないだ手のひらを親指でさすりながら、できるだけ怯えさせないように、やさしい声で問いかけてみる。
 くだらないことで怖がらせたくないし、別に私は怒っているわけじゃあない。ただ、まち子さんの気持ちを知りたいだけ。ただ、それだけ。
 私が責めているわけではないと安心したのか、まち子さんは、ほう、と小さく息を吐いて、少しだけ肩の力を抜いた。
(そんなにびくびくすることないのに)
 少し、胸の奥がちりりと痛む。
 まち子さんはそんなわたしの気持ちもしらないで、たどたどしく、言葉をつむぐ。
「…私は、あなたとちがって、こういうことは慣れてないから……。正直、あなたと何を話したらいいのかわからないし、こんな、こういうの、」
「苦手?」
 こくり、頷く。
 そう言われてみると、そうかも。まち子さんは仕事を大事にするひとだし、仕事に一生懸命なひとだ。私みたいなのが四六時中視界に入ると、どうしていいか分からないんだろう。
 それは、……なんとなく、分かる。
 ましてや、34年間色恋沙汰には無縁の生活を送ってきた人だもの。9歳も年下の部下(しかも同性)にすきすき大好き言われるこの異様な状況には、慣れっこないわけで。
「…なるほどね」
 嫌われているわけではないってことなのかな。
 そんな小さなことに、少しだけ安堵する。
「わかりました。これからは愛情表現控えめにします。仕事中あんまり熱視線送らないようにしますし、わざと触ったりとかしないようにします」
「わざとってあなた……、あの、妙にぶつかってくるのわざとだったの?!」
「えへ」
「えへじゃなーい!」
 お。まち子さんてばいつもの調子に戻ってきた?
 いつものまち子さんに戻った様子に、私も少しだけ安心する。
「……でもあなただって」
「え?」
「沢屋さんと、ずいぶん仲よさそうだったじゃない。あんな街中で…、あ、あんな破廉恥な」
 何かを思い出しているのか、まち子さんがわなわなと肩を震わせた。
 あーもしかしてさっきのことかしら。あの程度で破廉恥って。なんてこと!
 ただちょっと沢屋さんの大きなおっぱいをつついたりしただけなのに! 別に揉んだりとかつねったりかじったり匂い嗅いだりとかそんなことしていないのに!
「あれはスキンシップですよう!」
 必死で力いっぱい主張してみたけれど、まち子さんの眼鏡の奥の瞳は冷ややかだ。
「あの子は若くてかわいいし、胸も大きいわよね」
 そんなことをいいながら、またぷい、とそっぽを向く。
「わたしは若くなくてもすんごくかわいくて、胸も小さいまち子さんのほうが好きですよっていうかおっぱいは個性があるからいいのであって、別に巨乳派とかそんなわけでもな……って痛ッ! ちょっと蹴らないでくださいよお!」
「……そういうことを言ってるわけではなくて」
  まち子さんは眉毛をぐいーんと吊り上げて、むっつりと黙り込む。
 赤く染まった頬、少し上目遣いの濡れた瞳、不機嫌さを主張するかのように、唇をちょっぴり尖らせる。




 ……。
 ……なんていうか、コレって。
 …もしかして。





 嫉妬ってやつですか?!






(うっわまじで? これ嫉妬? 嫉妬ってやつ!? そんでこれは拗ねてますアピール?!)
 実を言うと実を言うと、こんなにすきすき大好きーって言ってる割には、あんまりまち子さんからははっきりとしたリアクションがないので、どうしたものかと悶々としていたのだ。
 友達以上恋人未満っていう関係はおいしいっちゃおいしいけれど、でもやっぱり物足りないし、苦しいわけで。
 しかも女同士となると、話は別である。
 実際、まち子さんが私のことをどう思ってるかなんてよくわからない。ただ流されやすくて流されてくれているだけかもしれない。もしかしたら、心の中でうざいとか思われてるかもしれない。
 だけどこうやって、嫉妬してくれるってことは、まだ望みはあるんじゃないか。どっちかといえば、好かれているんじゃないか。
 そんなことを考えて、私の心は浮かれてしまった。ああ、恋って、なんて苦しくて楽しいのかしら!

 ふと、意識を目の前のまち子さんに戻す。すると、おそるおそるというような瞳で、まち子さんが私を伺っていた。目が潤んでいる。泣きそうな顔。
「……ね、まち子さん、抱きしめても、いい?」
 たまらなくなって、わたしはまち子さんの肩に額を落とした。いかんいかんいかん、このまま顔を見てるとキスとかしたくなっちゃう。
「…ここは、街中じゃないの」
 耳元で、相変わらず不機嫌そうな声が聞こえてくる。でも、そんな声も、今の私にとっては、とっても甘く響くわけで。
「誰もいないもん。いいじゃん」
「よくないわ、早く離れてちょうだい」
 そんなことを言って、まち子さんは、私がつかんでいた手のひらをはずそうとする。
「まち子さんのけち」
「うるさい子ね」
 笑いを含んだ声。
(あ、機嫌、治った?)
 少しだけくす、と笑った顔に、きゅーんとしてしまった。
 ああ、なんか、本当に、このひとがすきだ。すき。 大好きだ。

「?」
 急にきょろきょろと周りを見渡した私につられて、まち子さんも周りを見回す。
(……よし、だれも来ない)
 街中とはいえ、中心街からいくらか離れた道だ。そうそう人は通らないだろう。そう勝手に判断した私は、また改めてまち子さんを正面から見つめてみた。
「な、何よ」
 急に見つめられたことに動揺したのか、まち子さんがまた目を伏せる。
 うおーなーにーこれーなーにーこーれーちょーやーべーえー!

 (も…、も…、萌え殺す気かあああああっ!!!!!!)


「…けちなまち子さんには、おしおきして差し上げます」
 うっかりすると鼻から血がでてきそうな、なんともいえないおピンクな、熱いパッションを必死の思いで押さえつつ、私は努めてクールな声でそんなことを言ってみた。
 だってだってだってだって、こんな久々のおいしいシチュエーションに何もしないなんて、ちょっとこのままだとさすがに欲求不満だ。
 なぜなら私は至って健康☆努めて健全☆、性欲旺盛青春真っ盛り☆…な、花をも恥らう20代の乙女であるからして。
 ヨンとのことだって、ちょっと消化不良だし? ちょっとくらいならいいよねーっ、なーんて、腹の中でにやりと笑う。

 まち子さんはというと、そんな私の思惑なんて、まーったく気付かずに、あいかわらずこちらを見つめてくる。なーんか、イケナイ気分になってきた。
 「? …ねえ、ちょっと、何言って……、ぁ!」
 私はまち子さんを見つめたまま、頭を少しだけ動かして、目の前にあったまち子さんの首筋に唇を寄せて、啄ばむ。
「ん、やめ……!」
 そしてそのまま首筋に唇を這わせる。
 突然の私の攻撃に、まち子さんは大きく肩を揺らして、息を飲む。
 私は少しだけ音を立てながら、跡は残らない程度に加減しつつ、まち子さんの首筋に触れていった。掴んでいた手のひらを離して、まち子さんの腰を両腕で捕らえる。まち子さんは突然解放された手のひらで、私の両腕を弱弱しく掴んだ。
「あ、な、……こんなところで……」
 慣れていないせいなのか、それとももともと敏感なのか、まち子さんの体温がすぐに上昇するのを、布越しに感じる。
 まち子さんの匂い。まち子さんの体温。
(……やっばい、興奮する……)
 うっかりやりすぎてしまいそうな自分の理性を必死でつなぎとめながら、私は、まち子さんの首筋を堪能し、そのまま唇を耳元に寄せ、思いっきり吐息混じりに囁いてやった。
「……すき…まち子さん、好きです…、」
「!」
 まち子さんはというとびくりと身体を震わせ、私の方に顔を向ける。そして潤んで濡れた瞳を私に向けて……。





 ……そして、もんっっのすごい顔で、私の足を思いっっっきり、踏みつけてきた。





「いっ……っったああああああいっっ!!!!! ちょ、ちょ、ちょ、そんなに何回も何回も足、踏まないでくださいよおおおおっ!!!」
 げしげし踏まれた足のあまりの痛さに思わずまち子さんの腰にまわしていた両腕を離すと、続いてばちこーん!と渾身の力がこめられた張り手が飛んできた。
 おーいてえ。でもきもちいい。ていうかなんか久しぶり。あーもっとぶっていたぶって!
「あーんまち子さんひどーい! …でももっとぶっていたぶって!」
「も、も、も、あ、あ、あな、」
「あはーまち子さん何言ってるのかわかんないですよお」
「もうなんていうかほんとやめて心臓に悪いからっていうかここは街中でしょう! そういうことはほんとうにやめて! はずかしいから!はずかしいじゃない! もうほんとうになにかんがえてるのあなた! なにかんがえてるの!」
「何考えてるのって……」
 あまりの恥ずかしさにパニックになっているまち子さんをどさくさにまぎれて抱きしめて、私はきっとたぶん、今まで生きてきた中で、最も一番いい笑顔でにっこりと笑いながら、こう言った。



「まち子さんのことに決まってるじゃあないですか!」





 さっきまでの甘ーいエロスな雰囲気はどこへやら。
 まち子さんはというと、盛大なため息をついて、頭を抱えたのだった。






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(2008/8/29)




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