**かえってきたまち子さん。**
【そのいち ストッキングとピンクのくちべに】
ストッキングなんてだっさーい、なんてナマ足にこだわるなんて10代から20代のほんとのほんとに前半だけで、ある程度年齢も経験も重ねると、ストッキングの良さに気づくもんだ。
例えば夏の暑い日なんかストッキングが素足にまとわりつくようで暑くて嫌だなんていう人がいるけれど、でも、スーツにナマ足でパンプスとか履いているほうが嫌だ。
最近はかわいい柄物なんかよく出てるし、さりげなくくるぶしの上にかわいいラインストーンがちりばめられたのも出ている。きらきらしたシアー素材なんてのもあるし、そして何よりデオドラント加工。何よりシェイプアップ機能。そしてそして何より、もろくて破れやすい。これ重要。ここポイント。それがなにやらはかなさを誘う。えろい。ようするに、ストッキングはえろい。 履いてもよし、伝線してもよし、破ってもよし。なんだもうこれすごくないですか。すごくないですかコレ。
靴下に穴開いてればただのだらしない人で終わるけれど、ストッキングの破れたつま先から覗くペディキュアをほどこした足先やら伝線したストッキングから見える生足のチラリズムなんてもう悶絶するかのようないやらしさ。
スカートはあまり短いのはダメ。長くもなく短くもなく、膝がちょっと隠れるくらいが望ましい。
そして靴はバックストラップ。これ最強。最高。ワンダホー。
そしてそしていつもかっちりしたブラウスを着て、眼鏡はデフォルト。髪の毛はきちんと清潔感のあるまとめ髪で、髪の色は黒。これは絶対ゆずれない。
そしてそしてそして普段色味を使った化粧をしない人がほんの少し、ほんの少しだけ色味のあるグロスやらチークやらを使ってきた日にはもうなんていうか辛抱たまらん。かわいいかわいいキスしたい。
「キスしたいです」
「い、い、いきなり何を言ってるのあなたはちょっとちゃんと聞いてたの?!」
「あ、うっかり心の声が」
きいてませーん。なんて言ったらぶたれそうだ。
ここはオフィスで私のデスク。座っている私の隣でふんぞり返って立っているのは、いつものように黒い長い髪をひっつめて、眼鏡はデフォルト。そしてかっちりとしたブラウスに、絶妙な長さの、黒のタイトスカート。そこから伸びたすらりとした足は、最近出たばっかりの新しい柄のベージュのストッキング。薄いストライプが入っていてとてもかわいい。コンビニでよく売っているので超オススメ。すごくオススメ。そして足は黒のバックストラップのパンプスという出で立ちの、かわいいかわいいお局さま。
わたしの大好きな、大好きな、まち子さん。
「まち子さーん。今日のお昼どこいきますうー?」
お昼まであと10分。適度に暇で、適度に忙しく、適度に真面目で、適度に不真面目なこの会社。この時間帯になると、お弁当持参の節約派な人や、電話番が好きな真面目な人以外は、たいてい外にお昼を食べに出て行ってしまうので。
ようするに、今このフロアには、私とまち子さんの、うれしはずかし二人きり。
そんなわけで、こんなわけで、さっきみたいな刺激的なことも、ぽろりと言えちゃうわけであって。
「あなた私の質問に答えなさい、さっきまでの話聞いてたの、聞いてないの?どっちなの」
まち子さんは顔を真っ赤にして私をぎろりと睨みつける。照れてるのかな、それとも普通に怒ってるのかな。
もし、照れてるとしたら、とても嬉しいんだけど。
「だってまち子さんがあまりにもかわいいから……」
私は思いっきり首をかしげて下からまち子さんを見上げる。情熱的に、熱っぽく。視線にこの溢れんばかりの愛をこめて。
「こんなところでそんなことを言わないでちょうだい!」
むきーと言いそうな勢いで、まち子さんがすぱーんと私のおでこを叩く。痛ったあい、やっぱり怒ってたのか。しかしながらぶたれる度に、ぶったなーおやじにもぶたれたことなかったのにーなんて言いたくなるのは、やっぱり私がオタクだからだろうか。
「痛あーい、今すっごい力をこめてませんでした?私ちょっと視界が揺れたんですけど」
くらくらとする頭をえいやと気合で持ち上げながら、私はまち子さんをきっとにらむ。
まち子さんはいつだって容赦ない。っていうか手加減ってもんを知らないのだ。でもまあ高校の頃、こんなことは日常茶飯事な世界に身をおいていた私としては、ちょっとものたりないくらいで。ようするに、もっとぶっていたぶって。
「あったりまえでしょ、何であなたはそう不真面目なのよ、何回も何回も何回もおんなじこと言わせないでちょうだい!だからこの計算。この点数。なんでこれがこうなってああなるのか、さっきから何回も聞いてるんだけど」
うっかりとノスタルジーに浸っていた私を、まち子さんはさらにばしばしと叩いてくる。それ資料じゃないですか。何するんですか。やめてください。コンタクトがずれる。
「だってもうお昼だしおなかすいたし、まち子さんのストッキング、伝線してるし」
ばしりと叩いてきたその資料をむんずと掴んで、私はまち子さんの足につま先でちょっと触れた。まち子さんはあわてて自分の足に視線をおろす。
「嘘、ほ、本当に?!」
「ええこの足首の内側の部分。かかとにひっかけたんじゃないですか、よくありますよねえこういうこと。足がもつれてパンプスのかかとが足首にぶつかっちゃうんですよね。すーぐ穴開いちゃう」
内側の足首のところに、ちいさな穴ひとつ。そしてそこを始点にぴーと縦に伝線している、かわいいかわいいストッキング。ベージュのストッキングの裂け目からちらりと見えるまち子さんの素足。白くて眩しい。まち子さんは本当の本当に色白なのだ。
あんなところに穴開けちゃうだなんて。まち子さんてば歩き方おかしいのかしら。
よろっと足をもつれさせて、うっかりかかとでストッキングに穴を開けちゃうまち子さんを想像して、私はちょっとだけ笑った。
「やだ、本当…。今日おろしたてなのに」
「いいじゃないですか、目立たないし、そしてそれになによりえろくてイイです…あ、痛ったあい!またぶちましたね!」
「もううるさいうるさいうるさい!あなたなんでそんな変なことばっかり言ってくるの!ここは会社でしょ!やめてそうやってからかわないで!」
そう言ってきいきいとまた私のおでこをぽかすかとぶってくる。ああ、痛い痛い。でもキモチイイ。
「いーじゃないですか別に。まち子さんがあまりにもかわいいからいけないんです、それに私は」
私はきいきいとわめいているまち子さんの手首をつかんで立ち上がり、
「いつだって、真剣ですよ」
そして手の甲にキス。
よけいタチ悪いわー!と、すぱこーんとまたひとつ、とびっきりのいい音がフロア全体に響き渡った。
きーんこーんかーんこーん。
絶妙のタイミングでお昼のチャイム。さて今日は何を食べに行こうかしらん。
そんなことを考えながら、視線はまち子さんから離さない離せない。ええ、離すもんですか。
「……ちょっと、いい加減離して。離しなさいよ」
べしばしと叩かれながらも、ずっと真剣に見つめていたら、みるみるうちに顔を真っ赤にして、むっつりとまち子さんがうつむく。うつむきながら、一生懸命、私の掴んだ手首を離そうとぶんぶんと腕をふる。ああそうやってあばれるまち子さん、かわいいかわいいちょうかわいい。
ぐい、とつかんだ手首を引っ張って、私はむりやりまち子さんを抱き寄せる。
「や、め」
ここまでくるとこっちのもの。なんだかんだ言ってまち子さんは強引さに弱いもので。うっかりと私の中のセクハラ心に火がついた。
「…ねえ、まち子さん、今日の口紅、いつもと違うね。うすいピンク色」
いつもいつもヌーディーな色しかつけないまち子さん。いつもベージュで、ピンク色なんて使ったことなかったのに。でも今日は、いつもと違って、うすいピンク色のかわいい色のくちべに。しかもツヤツヤの、ぷるぷるの、うるうるのえっろいくちびるだ。グロスかな。グロスもつけてきたことなかったっていうのに。
ピンクを選ぶっていうのは、無意識に恋をしているっていうことだと何かの雑誌に書いていたけれど。
それが本当だったら、その相手が私だったら、今ほんとに死んでもいいくらい嬉しいのに。
「チークもちょっとピンク?オレンジ?絶妙な感じですごく似合ってる。……これどこの?新色?」
ふうっ、と目の前のまち子さんの耳に息を吹きかけながら、わたしはぼそぼそとまち子さんに囁く。すっきりとしたまとめ髪は、かたちのいいまち子さんの耳がすっきりと出ていて、こうやってセクハラするにはもってこいだ。
「…あ…ッ、んっ、これは、……きのう、デパートで、」
耳が弱いまち子さん。うっかりとかみついた。舐めたくもなったけれど、そこはまず、がまんがまん。
「買ったの?新色?」
こくりと頷く。恥ずかしそうに伏せるまぶたが、うっすらと赤いまぶたが、とてもとてもかわいくて、うっかりまたかみつきたくなった。
「すごく似合ってる。本当にかわいいです。すごくかわいいです。ほんと、今すぐめちゃくちゃにしちゃいたい」
「めちゃくちゃって……」
目を見開いて、びっくりしたように私を見つめる。そして私と間近で目が合って、「あ」とひとこと声を発すると、すぐにまたうつむく。
腕の中でまち子さんが腰を引いた。ああ、なんだもうこの反応。すんげえかわいい。
「ね、まち子さん。私限界。すごく限界。キスしたいキスさせてねえキスしちゃだめ?」
「そ、それは……、まだ、お昼だし、」
「そんなの関係ないよ。いいじゃん、誰もいないし、ねえ、お願い」
「でも……」
うるうると涙目のめがねの奥の瞳。本当に困ったように、すっごく困ったように、眉間に皺を寄せるまち子さん。くちびるがふるえてる。
あーもうたまらん。たまらん。 拒絶しちゃえばいいのに、私なんか殴ってにげちゃえばいいのに、まち子さんてばほんとのほんとに、優しいんだから。 まーその優しさは、たっぷりじっくり利用させていただきますが。
「ね、めがね、はずしてもいい?口ひらいて、舌入れてもいい?」
「え……」
実はまだ舌を入れるまでは致してなかった私なのでありますが。でももう何かいろいろ限界。すごく限界。とっても限界。舌なんか入れたらまた泣き出しちゃうんじゃないかとかちらりと思ったけれど、なんていうかまだ私は性欲旺盛青春真っ盛りな花も恥らう20代の乙女でありますので。
このくらい慣れてない人には少しくらい強引なほうがいいだろう。別に脱がそうとか触ろうとか齧ろうとか舐めまわそうとかそんなわけでもなし。たかがキス。されどキス。しかし、しかし、しかしながら、今このほとばしる熱いパトスは、もうなんていうか止められないのであって。
「でも、私、舌、入れるキスしたことない、ん、だけど」
「実地で教えます実地で」
「だって、私、歳上なのに、どうしていいかわからなくて」
「誰でも最初は初心者ですから」
「でも、…恥ずかしい……」
「大丈夫大丈夫まち子さんはただ私に身体を押し付け唇をひらいて舌を動かせばいいだけなんですから」
「ええ…もお、やだあ…っ」
「えーいかわいいかわいい!このオタンコナス!め!」
悶絶辛抱たまらなくなって、私はまち子さんの腰に回していた手のひらを離し、まち子さんの肩を勢いよくむんずと掴み、えいやとかぱりと口をあける。
さて、いざ参るーっっと顔を寄せて、まち子さんの手のひらが、私の肩を掴んだのを感じたところで、頭の後ろからのーてんきな声が聞こえた。
「あ、佐藤さん、金崎さん、まだお昼行ってないの?」
………………。
なんだてめえええこのやろおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!
盛り上がった私たちの熱は、私のほとばしる熱いパトスは、そのノーテンキなうさんくさいサワヤカな声の持ち主によって、ひゅるるとしょぼんとしぼんでいった。
「いやー、まだなんですようー」
なあーんていいながらとりあえず。心の中でぐちぐちと悪態をつきつつ、私はにこやかにその声の主に向かって、振り返った。
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(2007/8/11)
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